正月の読書 - 2008年01月10日(木) もう正月でもないんですが、正月はなんかいろいろ読んでました。 そのなかでなんかすごい泣けたのが1号さんが読んでたのを横から覗き見てそんでそのあと貸してもらった「二十四の瞳」@青い鳥文庫 なんか大人になってから読むと泣けてたまらんのですが、泣きながら読んでると1号さんに「何がそんなに悲しいわけ?説明してくれる?」と問われて、ハタと考え込む。何がこんなに泣けるのか。子どものころはなんか辛気くさ、と思いながら読んだんじゃなかったっけ? 壷井栄は治安維持法に引っかかって獄中にいる夫に会いに行くとき、獄中夫面会友の会の宮本百合子(宮本顕治の奥さん)と一緒になって、壷井栄の生き生きと語る小豆島の物語が「おもしろいから小説にすれば?」といわれたのが小説執筆のきっかけ、と解説で紹介されてた。 そんで戦前から執筆を始めて二十四の瞳は戦後の作品なんだけど、戦争前や最中もこういう考え方だったんだろうな、と想像しながら読んだ。 戦前、教師がモノが言えなくなっていくさまが非常にリアル。おかしいと思いながら夫を教え子を戦争で失われていく事実をただみつめ、そして失われたものを悼んで泣くことしかできない大石先生。「戦争に向かう物語」としてなんか1つのコンセサスを得ていたのだな〜@走る軍部と巻き込まれる市民。今はまあ修正主義な人たちがいろいろと読み換えてるけどさ。 でもさ、ケニアの独立とその後の44年の物語はきっとこんな風に1つのコンセサスにまとまらないんだろうな、と思う。もっと複雑で多元的でわかりやすい説明が難しい。 無理に説明すると大切なところが飛ぶ、みたいな。 ...
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