西方見聞録...マルコ

 

 

初恋の人 - 2007年07月10日(火)

 大学に入学して、1年生の1学期の自主ゼミで「文化変容理論」というのを担当してハースコビッツの文化再解釈理論とかをなんだか発表した。2つ以上の文化が接触すると、双方の文化が新しい要素を組み込んで再編成されるという理論なんだけど、文化ってのはぜんぜん不変じゃなくて、出会うとホストもゲストもがんがん変わっていくって感じが高校生が終わったばっかの私にはすごく新鮮だったのを覚えている。とにかくはじめてであった文化人類学理論がそれだったのだ。ぜんぜんわかってなかったけど、リントンとかレッドフィールドとかやたら横に長い名前をうわごとのように繰り返す発表をしたのを覚えている。

 この前現在のシゴト関係で江渕一公の「バイカルチュラリズムの研究」とか読んでたら突然懐かしい、リントン、レッドフィールド、ハースコヴィッツの3人組が出てきて、どうしてこの3人が1930年代のアメリカで文化変容の定義つけをしたのかとか解説してあった(植民地化された時点の無文字文化を0ポイントとしてそこからの変容を追うための理論の枠組みを作っていたらしい)。

 そんで今日的には移民受け入れによって移民の子どもがバイカルチュラルに育つことも、ホスト社会が移民を受け入れて、受容的に変わることもあるいはその反対に反動現象を起こすことも、文化変容時の葛藤の一環なのね〜としみじみした。

 今大学1年に戻ったらもうちょっとましな発表も出来るな〜。つうか私はずいぶん曲折して今の研究についているつもりだったんだけど、意外や初恋の人を追い続けていたのか、と嘆息。

 そういうわけで文化とか伝統というのは決して不変じゃない。なんか復古的なことをいいたがる人は「復古」という新しい解釈をする必要があってストラテジックにソレを採用してるのよね、とか思った。

 


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