西方見聞録...マルコ

 

 

高橋美佐子さんのこと - 2007年01月28日(日)


 朝日新聞の記者に高橋美佐子さんという人が居る。

 マルコは前職時代、神奈川局勤務だった美佐子さんの取材を受けて神奈川の中学校がタイの子どもたちの就学支援に取り組む様子を紹介したことがある。写真入りの大きな記事なのでたくさん反響があったのを憶えている。記事が出るまでに何回か二人で電話やメールのやり取りをして、記事が出た後も何回かメールをやり取りした。その後東京の本社勤務になったあと、ラオスの小学校のことでニュースリリースをしたがそれは記事にならなかった。

 そういう新聞記者さんとのやり取りというのはNGOに勤務してれば普通にあるのでマルコなりに朝毎読それから産経にも何人かニュースネタをもちつ、もたれつした記者さんがいた。そんななか高橋美佐子さんのことを特によく覚えているのは何回かのメールのやり取りの中で「育児中で大変なんです。川崎は特に保育園行政がしんどいらしくて」とポロっと愚痴ったらすぐに郵送で川崎保育ガイドという美佐子さんが編集過程を取材したことがあるという本を送ってきてくれたのだ。

 忙しい仕事の中でそういうプラスアルファな気使いって結構難しいのは分かってたので強く印象に残った。

 その後高橋美佐子さんの名前を見つけたのは朝日新聞の神奈川版で「ガンと向き合って」という若い記者の睾丸ガンの闘病日記の連載の中でだった。美佐子さんはその闘病する若い記者の最初恋人としてそして最終回では妻として記名で記事に登場した。その連載はとても心に残って熱心に読んでいたので、ああ、高橋さんこんなプライベートを抱えながらクールに取材してたんだなと思った。高橋さんの夫サンの手記はにもなっている。

 その高橋さんの名前と久しぶりに再会した。

 朝日新聞の「患者を生きる」と言うシリーズで新生児集中治療室(NICU)の患者さん達に寄り添った連載を担当していた。相変わらずきめ細かい記事で出産の周りで起きる病と向き合う人々の姿が丹念に描かれていた。

 がんばってるなと遠くから思った。

 私も遠くに来たけど、あの頃と同じく「教育の機会の公正」ということをテーマにしているよ。心でエール。


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