西方見聞録...マルコ

 

 

日系人学習 - 2006年07月06日(木)

講義のネタに「多文化教育の実践例」を調べていてアメリカで行われている「日系人学習」という学習に行き当たった。

本日の日記内のこれから「」内の引用箇所はすべて森茂岳雄「アメリカの歴史教育における国民統合と多文化主義」 『多文化主義のアメリカー揺らぐナショナルアイデンティティー』(油井大三郎、遠藤泰生編 東京大学出版会1999年)からである。

アメリカで行われているエスニックスタディーズの多くは大学のカリキュラムとして位置づけられ、その後中等、初等教育のカリキュラムに取り入れられていったものが多い。またインディアンスタディーズやブラックスタディーズのように特定のエスニックグループを教育対象と想定しているものもある。しかし、アメリカの人口の0.3%にしか過ぎない日系人を取り上げたこの学習は、「すべてのアメリカ人のための問題」(p.176)と位置づけられているという。

日系人学習は第二次世界大戦下の<強制収容>と<戦後の謝罪と補償>の2つのパートに分けて行われる。
パート1では強制収容された日系人を「共感的に理解」することが学習目標としてあげられる。ここでは「強制収容を通知されたある家族の行動」をロールプレイしたり、当時の写真「FBIが日系人家族を家宅捜索しているもの、収容所に向かう線路の脇でりんごを手にして大きな荷袋に座り込む少女、収容所の有刺鉄線の向こうの荒野を見つめる少年」などの写真を見せ「この子供はどんな気持ちであるか、もし自分がこの子どもだったらあなたはどうするか?」等の話し合いがされ、「自由や人権の侵害」について侵害されたものの立場に共感的に理解できるように授業案が工夫されているという。また21世紀架空の国ザーゴニアンを仮想敵国と想定してアメリカ国内のザーゴニアン移民への対応をシュミレートするなどの発展的カリキュラムも提案されている。

パート2の戦後の謝罪と補償の学習では「アメリカが戦争中の不正義をただし謝罪と補償という民主的な対応をしたことを知り、」「(生徒に)どんなときでも、憲法・権利章典およびすべてのアメリカ人の市民的自由を擁護するための責任を共有していることを考えさせ、理解させる。」ことを目標としているのだという。

講義で日系人学習を取り上げながら、では今、私たちは国家間で緊張関係にある国からの移住者に対して彼らの「市民的自由を擁護するための責任」を共有できているだろうかとはたと考える。たとえば朝鮮半島にルーツを持つ人の言論の自由という市民的権利を擁護する責任を私たちは果たせているのだろうか。成城トランスカレッジでちょっと前紹介されていたこのブログのことなんかを考える。

テポドンが飛んだ朝、アメリカで行われている「日系人学習」から学ぶべきことは、私たちにもたくさんあると切実に思った。




...



 

 

 

 

INDEX
past  will

Mail Home