西方見聞録...マルコ

 

 

K内さんに会う。 - 2005年06月24日(金)

 22日(水)深夜突然メールをK内さんからもらう。
「23日から関西を訪れる。ついては関係者を集めるので23日夜飲み会に合流してください。」ってあんた、子持ちはベビーシッターの用意もあるんだから前日の深夜に明晩のもう、ではまにあわないのだよ。

 それでもK内さんに会えるのは結構レアなチャンスなので木曜金曜のマルコが自由になる隙間時間を30分単位でリストアップしてメールすると金曜の11時から11時30分に三ノ宮にて会える事になった。

 そんで今日会ってきた。

 K内さんはどんな人かというと、、、

 大学をたびたび休学して自分のぶんや妹の分の学費を工面、そのたび人生の経験値は高まったという方である。その経験値の中身をちょっこり紐とくと京都の料亭の板前になったり、危険物取り扱いの免許をとって一夏海水浴場のすべての海の家のプロパンガスの取り扱いを可能にしてあげる代わりに上納金を納めてもらって、自分はビーチで御昼寝したり、競馬のプロになったり、なかなか波乱万丈な物語を背負っておられた。

 マルコは今から10年前、ケニアでK内さんとおんなじプロジェクトのおんなじポジションで協力隊員をしていた。赴任地がマルコは北のほうでK内さんはウガンダの国境に近い西のほうだったが。文化人類学を専攻する隊員は結構めずらしいのでよく電話連絡をとっては仕事に関して相談したりされたりしていた。

 そんでその後わたしはNGO職員してた時代、K内さんもちがうNGOに勤めていてあっちこっちの業界の集まりで顔を合わせていた。

 マルコが関西に来てからちょっと疎遠だったけど、そんな微妙にやくざな文化人類学者@開発業界生息中のK内さんもこんどJICA専門家になってウガンダにいくことになった。めでたいことである。

 30分の短い会見でお互いの近況や思わぬところの共通の知人のうわさ話をマシンガンのように語り合い、30分きっかりたったところでお互い次の予定があったので別々の場所に移動した。次に会えるのは多分3年位あとかな〜。

 ところでK内さんはわが掲示板の住人のいとなん女史を知っていたよ。「いとなんはマルコをたずねてケニアに遊びに来たことがあるんだよ」というと、「そういえばマルコさんの従姉がイギリスからジンバブエ経由で遊びにきたって言ってましたね。そうか、あの人がいとなんさんか〜」といっておられました。今度どこかであったら(たぶんAから始まる学会とかだと思うけど)K内さんをよろしくだよ>いとなんちゃん。



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