西方見聞録...マルコ

 

 

サンドバックの哀しみ - 2005年04月27日(水)

 神戸の方で用事があってJR神戸線で大阪から西に向かう。このあたりは私の通学定期のカバー内だ。神戸線は尼崎から西へと進路を取るのだがこの尼崎から宝塚との間を結んでいる別の路線で甚大な事故が起こった。25日の事だ。2日後の27日の時点で宝塚線は運転を取りやめており、神戸線も何本か間引き運転を行っていた。

 尼崎をとおりかかる時、車内は何となく静かになり、分かれていく宝塚線の路線の行方の方にみんな目を向ける。一緒のボックスシートに座ったこのエリアを担当しているらしい営業マン2人組が打ち合わせをふと止めて「OOさんあの列車に乗ってたんだって」「自力で這い出したらしいな」と語った後、そのOOさんが語ったという車内の様子がひとしきり話される。

 目的地に着いて事務作業をする。コーヒーブレイクの時にその周辺に住んでいるスタッフの人ばかりだったので自然と事故の話になった。事故現場のすぐ近くに暮らすTさんは2年前に東京から引っ越してきたひと。「あんまりヘリコプターや救急車がすごくて『震災の時ってこんな感じだったのかな』と思った」という。それを聞いて震災を二十歳で経験した現在三十歳のMさんが「今回のは人災だから、やりきれないし、諦めきれない感じがする。」という。

 帰り道、尼崎で電車が止まった。東淀川で人身事故がってしばらく止まるらしい。大阪までもうすぐなのにと車内がいらつく。と、そこへアナウンスが入り「5番線から各駅停車が出るのでお急ぎの方はそちらへ」という。私が乗っていた新快速は8番線にとまっていたので大勢の人が電車を降りて5番線に移動するために階段を上ろうとする。そのときホームのアナウンスで『大阪までは新快速を動かすので、新快速が先に出る』という。動き始めた人々は軽い舌打ちとともに再び新快速の車内に引き返す。ホーム車中ともに誘導の不手際をわびながら正しい情報を伝えようとするアナウンスが何度も流れる。

 とても疲れて動揺している声だった。

 まだ一昨日のパニックから立ち直れていない感じがありありと伝わるアナウンスだった。

 痛くてたまらない。死んでしまった人も残されて悲しみを抱えて生きる人も、人災として責められる立場にたったJRの現場で働く人も。いったいどこでボタンが掛け違ってこんなところまできてしまったのか。

 夕暮れの尼崎で立ちすくむ。


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