西方見聞録...マルコ

 

 

隣の女 - 2005年03月24日(木)

 六甲道の美容院に行った。この頃白髪が激しいので白髪染めとパーマと両方お願いすると結構時間がかかる。暇なので店の備え付けの女性雑誌だけでは飽き足らず持って来た本まで読んでしまう。

 お店はこじんまりしてとってもアットホームな雰囲気なのでいつもお客さんは私ともう一人くらい。2人の美容師さんがそれぞれのお客さんとお話しながら作業を進める。

 今日の隣のお客さんは神戸のハイソマダムという雰囲気をふりまいている私と同年代の女性でかなり美容師さんと盛り上がってしゃべっていた。彼女は専ら自分の話をして、美容師さんがそれに相槌を打つという基本姿勢だったのだが、なんというか幕間の寸劇を見聞しているみたいだ。

 いわく

「うちって子供達に乗馬やらせてるでしょ?主人はゴルフやるし、みんなテニスもするからこれで社交ダンスでも子どもに習わせれば、イギリスに移住してもやっていけるっていってるの。」とか

「今度タイのビーチに行こうと主人と話してるんだけど、シーフードはやめとこうっていってるの。絶対水死体食べてるから。」

 なんっていうか繰り出されてくる話題がいちいち「友達になれそうにない」オーラにまとわれている。友達になれない人の話をこう間近で長時間聞く機会ってあまりないのでなんか貴重だな〜、とヘンな感慨を抱く。もし間近にはなすような友人が「イギリスに移住できるうんぬん」といえばケッと冷笑してあげるし、「タイのシーフードうんぬん」なんて言ったら、眉間に少ししわを寄せて「被災地に対して人としてそういう言い方ってどうかと思う、というか風評被害生んでどうする」という気持ちをちょっこり滲み出させることができる。でも彼女にとって私は話し相手ではないので私は反応できずにただただうつむいて話を「拝聴」するだけだ。

 こういうのってなんかに似ているな。そうだ全然共感できないのに「怖いもの見たさ」で目が離せなくなっちゃった人のブログを読む気分だ。

 インターネットを利用した日記やブログを読んでコメント欄や掲示板に書き込んでくれる「読者」って(おおむね)賛同者だけど、共感できない「読者」ってサイレントな傍観者になるんだよね。

 さて件の「隣の女」の話は続く。

「今日は午後からボランティアで日本語を教えに行くの。まったく日本語の出来ない韓国の人に」

お、「隣の女」そんな一面が有ったのか、見直したぞ。

「生徒はね、神戸大の交換プログラムできている大学教授とか関空の航空会社で働いてる人とか、すっごいエリートなの〜」

、、、そんなにハイソにこだわらなくてもいいとおもうぞ。と、心でコメントを出しておく。


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