西方見聞録...マルコ

 

 

NOBODY TEACHES - 2005年03月17日(木)

今日の朝、電車で1号さんが保育園時代一緒の班だった男の子Tくんのお母さんと一緒になった。Tくんは転園してきたばかりの1号に常に優しく、ちょっと班全体が1号の引っ込み思案度に疲れていじめっぽいムードになったときも1人だけ1号のそばに寄り添ってくれていた。お礼にその年のバレンタインデーに50円のチョコを1号は購入し、やっぱり引っ込み思案で渡せなかったのでマルコが代わりに渡してやったりした。

 T君のままは外国の人で日本語があまり自由にしゃべれない。そしてまったく読めない。Tくんのお父さんは日本人だったけど随分前に他界してしまったそう。

 「小学校は毎日学校からお知らせが来て大変でしょう。」ときくと「先生が一応教えてくれるけど、わからないことが多い。」tのこと。

 そしてTくんままは「1号ちゃんは保育園にはいたけどどうして小学校にはいないの?」ときくので「町に小学校は3つあって住んでるところによってみんな分かれていったんだよ。」と説明する。小学校が複数あるのも知らなかった様子。

 さらに「保育園は良かったけどいまは、学校が終わると一人で家にいるから大変」というので「学童保育は?」と聞くと「知らない。それはなに?」という。「学校が終わったあとのDAY CAREだよ。保育園を出た子で必要な子は行ってるよ」と説明すると知らなかったそう。

 なぜだ?なぜT君のままは学童を知らなかったんだろう?

 保育園から学童の申し込み書類をもらったはずなのに。1号の年長組のときの担任先生も園長先生もそれはそれは行き届いた人々でそんなことをおざなりにするとは思えない。T君ままが説明されても、日本語が理解出来なかったのを申し込みの意思ナシと見られたのか?

 神戸の方には多言語での生活情報提供のサービスやサポートグループが多数あるのだが奈良はそうしたサービスがまだ盛んではないのだろうか?またそうしたサービスポイントへのアクセス自体がT君ままにとっては越えるべき大きな山になっているのだろうか。

 異国でアクセスできる情報が限られている中、生活するのって本当に大変なんだな、と実感する。隣人として何が出来るのか。まずは世間話からはじめようと思った。




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