西方見聞録...マルコ

 

 

事件 - 2005年02月22日(火)

 2002年の8月、そのころ稲田堤在住だった私たちはまだ生後4ヶ月だったおKさんと4歳児の1号さんをマルコとあめでおさんそれぞれの実家にあずけて、関西に家探しにやってきた。インターネットの不動産屋さんサイトで大体の目星はつけていたのでまっすぐJR法隆寺駅を目指し、駅前の自転車屋さんで観光用のレンタル自転車を借りて現在私たちがすんでいるマンションを目指した。自転車屋さんのおじさんに「土地の小児科のお医者さんの評判」や「救急病院はどこがお勧めか」や「保育園や小学校の評判」等を聞いて「秋に引っ越してくるのでよろしくお願いします。」と語るとおじさんは「こちらこそよろしう。」と言ってくれた。

 9月の末、実際に引っ越してきた私たちがまず最初にしたのは自転車を購入して子ども用の椅子を取り付けることだった。そしてその自転車屋さんが経営している駐輪所と契約して毎朝、その駐輪所に自転車を預けて、私たちは北へ南へと通勤やら通学やらへと出かけていった。会うとおじさんは必ず「いってらっしゃい」「ようこそおかえり」と声をかけてくれた。地縁のない私たちが一番最初に挨拶するような関係になったのがこのおじさんだった。

 おじさんの家には腰の曲がったおばあさんがいて、日曜などはとなりの喫茶店の貸し出すレンタル自転車に対抗して看板娘として駅を降り立った観光客に対してがんばって客引きをしていた。

 おじさんはそうした観光客相手の仕事より純粋に自転車が好きらしく、毎日町の人が持ちこむ自転車がらみのトラブルを楽しそうに解決していた。私たちもパンクや鍵のトラブルを相談すると帰りに自転車を引き取るときはいつもちゃんと解決してくれていた。おじさんは働き者だな〜といつも思ってみていた。

 今日の朝、自転車屋さんのおじさんのうちで事件があった。10時前に自転車を預けに駅前のおじさんのうちへ行くと「KEEP OUT 立ち入り禁止」と書かれた黄色いテープを警察の人がたくさんで張り巡らせていた。「その家に自転車を預けているのですが」というと「出来るだけ左の方、歩いてね」といわれてテープの中に入れてくれた。動転していて鍵をかけるのを忘れてしまった。頭上では何台ものヘリコプターが飛んでいた。駅に行くと町の人が「おばあちゃんが殺されたらしい」と話しているのが耳に入った。

 近隣の町の図書館で勉強していると携帯電話に学校の下校班の連絡網がまわってきて「犯人が逃走中なので下校時間に子どもを迎えに校門まで来るように」といわれた。

 そんなわけで早く帰宅しニュースを検索してみるとこんなニュースになっていた。地域のテレビでは報道もされたらしい。また校門に迎えに来ていたおかあさんによると「おじさんの車が大和川の河川敷でみつかって、川の中を捜索中らしい。」とも聞いた。

 でもニュースを見る限り、わかっているのはおばあさんが死んでしまったこととおじさんがいなくなってしまったことだけだ。おばあさんが死んだ原因もわからない。おじさんがその死にどんなかかわりがあったかもわからない。

 たくさんの憶測と不確かな情報の中、おじさんが無事に帰ってきてくれることをとても願っている。

 いろんな人が「出来事」を語るが、私にとって大切なのは、「おじさんが新しく町に来たばかりの私たちに毎夕『ようこそおかえり』と声をかけ続けてくれていた」ということだ。



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