西方見聞録...マルコ

 

 

秋の凶事 - 2004年10月20日(水)

 台風だった。「最大規模の」という形容詞にも、「またか」と感じてしまい、油断していたが今回のはかなり大きかった。関西を直撃した時、私はまたしても神戸の西におり、保育園と学童からの連絡を受けて、東への列車に乗った。大阪で奈良方面の列車を待っていると、同じホームから出る関西空港・和歌山方面行きの列車は既に運転を取りやめていた。

 幸いにも奈良方面はまだ動いていたので2時前には子どもを回収することが出来た。1号さんの級友のYちゃんが1人学童に取り残されそうになってたので、Yちゃんもうちにきてもらうことになる。学童の先生たちのお子さんが学校から帰されており、留守宅を放って、遅くまで学童に待機しなければいけないのが苦痛なようだったし、奈良で教員をしているYちゃんの母上とは日ごろから緊急時には子どもを預かりあうという協定を結んでいる。

 夕方Yちゃんの母上がYちゃんを回収しにやってきた。あめでおさんも非常に早い時間に帰宅し、6時前にご飯を作ってくれたのでみんなでいつもより手の込んだあめでおさんの牛筋肉じゃがを食べて、もうすることがなくなったので、トランプをしたり日本一周すごろくをしたりして遊んだ。

 8時前、雨がやんだ。それと入れ替わるように激しい風が吹き狂った。地鳴りのような音をたてて風が吹いた。

 8時過ぎ、町中にサイレンがなった。てっきりすぐ近くを流れる富雄川が氾濫したのだと思った。ベランダの窓から外を見ると物凄い強風の中、家から200メートルほどのところで炎が上がっているのが見えた。

 火事だった。

 地図で確認するとさっきまで一緒に遊んでいたYちゃんの家の方角だった。またそのへんにはわがマンションから出て1戸建てを建てたばかりのSさんの家もあり、とにかく不安だった。

 さっきまで雨が降ってたのに。どうして今は風だけなんだろう。今降っていれば、それは恵みの雨なのに、台風は人に恵みをもたらすのがそんなに嫌なのかと、天を見上げ、タイミングの悪さを思う。

 火事は強風にあおられ、物凄い勢いだったが、しばらくして消防車が駆けつけると、わりと素直に消えた。

 翌朝の新聞で、農業倉庫の火事で、けが人もなかったことがわかりひとまずほっとする。しかしこの秋の収穫のコメが9トン燃えてしまっていた。先週末、台風の到来を予測し、多くの農家がコンバインでコメの収穫に励んでいた。たわわに実った稲の穂は誇らしげで、農家の人々も1年の労働が報われる収穫に斑鳩の里は活気に満ちていたのに。

 実りも天がもたらすものなら、禍事も天がもたらす。久しぶりにままならぬ自然の前でのヒトの無力さを見せつけられる。


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