善意の文章 - 2004年10月18日(月) さて、私、現在D論執筆のために,某NGOに潜入調査をしております。そのNGO内での私の肩書きはもったいなくも「学生ボランティア」。学生ボランティアとして他のボランティアな本物の学生さんと入り混じって(いや私だって本物ですが),何事か活動したり,ニュースレターに記事を書いたりするんです。マルコは二年前まで、この道で飯を食ってた国際協力NGOのプログラムオフィサーなので、いっしょに活動をしてくださってる若人の皆さんに対して、なんというか、「ぬるい!」と魂がシャウトしちゃうこともままあるのです。でもそこは黙ってボランティアに徹するべきではないかと思います。なんてったって潜入調査中なんですから。 そんでも時々,企画案を書いてくれといわれれば、素人さんでは書けない企画案を書いてみたりして慎ましくも存在感をアピールしていたわけです。そんなことをしてたらいつのまにか,その団体の二ヶ月ごとに発行するニュースレターの編集長になっちゃいました。って潜入調査じゃなかったのか? しかしこれがまた難しい。 前職時代も編集長こそはしなかったですが三万部ほど発行するニュースレターの記事を書いたり,校正に関わったりしてたのです。そこで得た教訓ですが、NPO・NGOなど社会正義を掲げた活動に関する「善意の文章」を人様に読んでもらえるような形で提示するのはものごっつい難しいのです。正しいことを正しいまま思い入れたっぷりにかいてもよっぽどコアな関係者以外読んでくれません。それでは活動は濃縮還元されるばかりで広がりませんし、活動のアカウンタビリティ(説明責任)を果たすというニュースレターの役割すらまっとうできません。 読んでもらえる善意の文章というのはどう言うものかというと「公正なデータに基づいた客観性のある記事」とか、「普通の人は知りえないトリビア的ネタをちりばめる」とか,「普通は見られない写真をずっかずっか使う」とか、「人をひきつけるキャッチーなタイトルをつける」とか、「とにかく読みやすい段組を工夫する」とか、まあテクニックはいろいろあるのです。 さてニュースレター原案があがったときから,マルコ大鉈ぶんぶん状態。現在記事が集まり出していますがやっぱり前途には大山が待ち構えているご様子。そして編集長マルコの執筆分も1200字ほどあるのですが,なんだか一番思い入れたっぷりな部分を引き受けてしまいました。気を抜くと,善意の文章の悪い文例になりかねない感じ。皆さんに様々に改善案をお伝えした以上、自らその悪い例を示すわけには行きません。 世の中に数ある善意の文章のなかで、第三者として、読んで面白いものを発見したら,その書き手は並々ならぬ鬼才と思って間違いありません。鬼才ならぬマルコ、苦難の一週間が始まろうとしています。 ...
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