西方見聞録...マルコ

 

 

奈良浮遊 - 2003年12月05日(金)

 金曜日、久しぶりに晴天でございます。前夜、非常勤講師稼業(午後4時半まで)+大学院のゼミ(午後6時からエンドレス、いつもは水曜だけどこのころ先生の都合で時々木曜)のれんちゃんをし、夜10時半に法隆寺に帰ってきながら、電車の中で眠りこけてて、乗り過ごし、結局11時に帰宅した身には青空が目にしみる朝であります。

 本日は午後3時から1号さんの保育園で卒園アルバム製作の集いがございますので、午前中のフリータイムあんまり遠出できません。そんなわけで本日は奈良市内の県立奈良図書館で来週の講義の準備+某申請書類書き+ラオス関連のお仕事をしようとJRで奈良に出向きました。

 県立図書館は三条通りを興福寺方面に歩き、途中で左折し、県庁や県立美術館のあるほうへてくてく歩くと到着します。座席指定制ですが、どの席からも東大寺の大仏殿の屋根が見え、周囲の紅葉とあいまり、それはそれは美しゅうございます。しかし大仏殿、巨大です。こうやって普通の窓外の光景としてみるとなんか新興宗教のお堂っぽいですな。いや新興宗教のほうが真似したのか?聖武天皇の時代はコレも立派な新興宗教だったのでは?とかいろいろ考えながら作業。

 細かいつめはパソコンの前で深夜にやるのですが大体の骨子を作ってしまえば後は楽です。1時半ころに3つのミッションのうち2つがなんとなく形になったので図書館を出て、県庁前の公園や興福寺の境内を紅葉をめでながら歩き、三条通りのベトナム料理屋「タンナム」にて昼食。このベトナム料理屋は2003年2月10日の日記にも登場してますな。あのころハローワーク通いにかこつけお願いしたベビ―シッターさんにいただいた自由時間をむさぼるように堪能し、かつ受験勉強を隠れてしてたんでございますよ。あのころの余裕の無さ、追い詰められ度に比べると今は消費者か生産者か良く分からんなりに一応子どもを保育園にあづかってもらえるだけの社会的ポジションは手にしたのだなあと感慨深いです。来年の今ごろはどのような立ち位置でこの日記を書いているのか本人にも見当がつきません。

 ベトナム料理屋では15分ほどで食事を終え、サンマルクカフェに場所を移し(スタバがこのごろ閉まってるんざんす)ちょっと残ってしまったラオス関連の英文を読んで過ごし、3時10分前の電車で法隆寺に戻り、1号さん保育園に参ります。

 ここでは子どもと親と一緒に卒業アルバムの製作作業をいたします。1年間の思い出を先生に語ってもらいながら子ども達の歌あり、自家製紙芝居の発表ありの盛りだくさんの企画で相変わらずこの保育園の企画力の高さに感銘を受けます。

 子どもたちが「世界で1つだけの花」をうたったとき、となりで聞いてた仲良しの女の子のお母さんが「あんなおしめつけてた子達が皆こんなに大きくなって」と涙ぐみました。「ホントですねえ」と相槌を打ちながらはるか川崎の1号の昔の保育園の仲間たちの0歳児のころの映像がちょっとフラッシュバックしました。あの子もこの子もこの春には小学校に進みます。近くで見守ることはお互いできなくなったけど、それぞれしっかりと成長されていることと思います。皆にも心配してもらい、マルコもあめでおさんも気が遠くなるほど心配したけれど、1号さんは何とか新しい環境でがんばっています、と、おもわずはるか東の空に語りかけてみたりしました。


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