西方見聞録...マルコ

 

 

行く夏 - 2003年08月26日(火)

 夏が始まったと思ったら、秋雨前線が南下してきました。今年はお米の出来が今ひとつらしく、お米農家はさぞやご心配でございましょう。

 夏は日本人の多くが戦争を思い出し、反戦の思いを新たにしたり、政治家の人が靖国神社に行っちゃって物議をかもす季節です。降るような蝉時雨は玉音放送のBGMとして広く深く人々の魂に刻まれているのでしょう。夏は戦争関連のドラマが放送されたり、図書館で戦争を学ぶ児童図書がキャンペーン的に貸し出されたりしたので、私も夏休みの宿題の読書感想文にそういう本を取り上げたりしてました。まさしく夏の風物詩としての戦争です。

 でも「夏に思う戦争」と「冬に思う戦争」があまり統合されない形で私の中でわだかまっています。

 小学校2年生のお正月でした。家族旅行で秩父方面に行ったとき、丸木美術館に行きました。とても広い館内に巨大なカンバスに描かれたいくつもの「原爆の図」がしばらく脳裏から離れず、夢に出てきました。絵というメディアの持つインパクトはなかなかのものです。

 同時にその丸木美術館の長い廊下で満州・朝鮮半島での日本軍の残虐行為の写真展を見ました。私は戦争の加害国に生まれたという認識を恥ずかしながらこのときまでぜんぜん持ち合わせていませんでした。

 美術館のとても長い廊下が凍えるように寒かったのを記憶しています。

 長じて、あるキリスト教系の高校で2年間だけ非常勤講師として世界史と現代社会を教えることになりました。私と組んで現代社会を担当した年配の専任の先生は平和教育に大変熱心な人でした。1学年7クラスのうち3クラスを私が担当して、4クラスを専任の先生が担当なさいました。その専任の先生は現代社会の授業の一環としてコリアレポート編集長(当時)の辺真一(ビョン・ジンイル)氏を招いて在日韓国・朝鮮人の戦前・戦後史に関する講演会をなさったりもしていました。そして私にもある程度歩調をあわせるようにとおっしゃいました。戦争なんてぜんぜん知らない世代の私がもっと昭和を遠く感じているワカモノに戦争のことを伝える、とくに日本の大陸に対する加害の歴史にスポットを当てて伝えることを要求されたのです。

 正直言って苦悩しました。どうやったら日本のワカモノの心に届くような形で日本の植民地支配やそれに続く大陸での戦争、―具体的には万歳事件や南京大虐殺―を伝えればいいのか。思いあぐねて、新学期が始まる4月を前にした2月、さっくりソウルに行きました。現場を見てくればなにか真に迫った話ができるのではないかと思ったのです。(ちなみに中国の南京大虐殺記念館には大学時代にバックパッカーしてたときに行ったことがありました。)

 このときのソウル旅行では独立公園や独立記念館に行きました。でも一番キいたのは、ロッテワールドの韓国の習俗を伝える子ども用の展示に混じってひときわ生々しい日本軍残虐行為の展示室があったことです。韓国の子どもはこんな企業ベースのテーマパークにおいても、そのことについて知る機会がある。日本の子どもはそれについてオープンに語る機会がないまま大人になる。両者の間の温度差はどんどん広がっていくのではないかと思いました。

 2月の韓国は本当に寒かったです。

 韓国の万歳事件は1919年3月に起こりました。中国の南京大虐殺の1937年の12月から始まっていますのできっといずれも寒い季節の惨事だったのでしょう。先の大戦は決して夏の季語ではないのだなあ、なんて思ったりしました。

 ちなみに私が担当した現代社会の授業はあんまり上手くいきませんでした。学生諸君の共感を得るには至らなかったように思います。どうしたら被害者の痛みを共有出来るような伝え方ができたんだろうと今でも時々考えます。

 夏に思い出される戦争については情報量も多く、蝉時雨を聞くと玉音放送が聞こえてくるような既視感があるのに。火垂るの墓の節子ちゃんの餓えを我が娘のそれのように感じることは比較的容易なのに。

 



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