サルベージ「世界の男求愛紀行・中東編(一部座敷女)」 - 2003年06月03日(火) このシリーズは続きます。ネタが切れません。 さあ今回は中東です。さすが中東情勢アメリカと切っても切り離せません。 投稿者:ダイヤ 投稿日: 3月18日(火) 昔アシスタントをしてくれてた女性(かなりユニーク)が、中東方面に行くとモテモテ、ととっても自慢していたのを思い出しました。彼女は結局キューバ人と結婚しました。中東じゃないじゃん! 今話題の地域あたりではプロポーズされまくりだったそうです。 国内では同年代にはぜんぜんでしたが、親父(50歳超)に絶大な人気を誇ってました。私は一緒に京橋(!)にいたとき、70くらいのじじいにナンパされてるのを目撃しました。 投稿者:マルコ 投稿日: 3月19日(水) 48時間ってブッシュのおじさんが言ってるのにこんなことしてていいのか? いいのです。表面の行動のみを読み解いてイスラムとアメリカは反目していますが その異なる行動を巻き起こす文化構造を理解するところに互いを理解する鍵があるのです。 そういうわけで今日もその男たちが何故そんな楽しい求愛行動をしちゃうか考えてみましょう。 今日は中東編です。なぜならダイヤさんが振ってくれたからです。 >中東方面に行くとモテモテ、 >ととっても自慢していたのを思い出しました。 中東の男性は中東の女性に対しては求愛も求婚もとっても慎重です。求愛と求婚の間に大きな隔たりがありません。このあたりがサハラ以南のアフリカの男性諸君と違うところです。イスラムの戒律に従いとっても紳士な彼ら。しかしたまった憂さは外国人で晴らすのです!以前ロイヤルモロッコエアウエイに乗ってたらスチュワードが外国人女性乗客全員に宿泊ホテルを聞き、今晩飲みに行かない?と誘っていました。 こんな環境でモテモテと喜んでいてはなりません。 ちなみにエロ本なんですがイスラム女性を被写体にしたそんなものはありませんし西欧ものではあんまり民族的に違って楽しくないので日本モノのエロ本がモロッコでは重宝がられておりました。 しかし彼らは彼らの共同体ではとっても紳士なのです。 またこれは結構話のネタとして私が愛用している事例です。 中東の男性は結構、紳士という例です。 私は15歳のときイランからの出稼ぎ労働者あすがる氏と図書館で隣に座りました。あすがる氏は 「すいません、「たった」と「だった」はおなじですか?」 と聞くので 「いいえ、「たった」はONLY「だった」はWASです。」と賢い中学生の私は こたえました。 あすがる氏は当時まじめに交際する女性を探していたのでしょう。それ以来図書館ではいつも私の隣にいらっしゃって黙って日本語の勉強をしていました。当時、老け顔の中学生だった私はちょっと困りましたが図書館で受験勉強をするのが趣味だったので時々日本語を教えてやっていました。 あすがる氏はしばらくしてやっぱり図書館で中東人のお友達に私を紹介し 「明日鎌倉にいっしょに行きませんか?」 と誘いましたので「中学生ですので殿方とのお出かけは親が許しません」とお断りし、毎日行く図書館をその図書館ではなく違う図書館に変えました。 あすがる氏は私の歳を知ってびっくりしていました。 数年後、池袋のサーティンワンであすがる氏と偶然会いました。 「あなたはあのときの?」 とお互いに声をかけました。当時私は大学生になってダイヤ夫とともに学んでいました。 あすがる氏は勉強はヤメタと言っていました。そして 「ちゃんと夢をかなえて、大学にいってえらいね」とほめてくれました。 あすがる氏はとっても紳士で、最初から最後まで父親が娘を守るように接してくれていました。 ところで70歳のじじいが難破、もといナンパしてくるとは。 そこはどこ? 日本も所によりラテンだなあ。キューバ人とはどのように知り合ったのだろう。 興味は尽きません。 投稿者:ダイヤ 投稿日: 3月26日(水) 求愛行動、詳細なフィードバックに大感動です。一度しか会ってないけど、マルコ様、さすがですわ。素晴らしいですわ。こんなに濃い濃いお話が聞けるとは。 中東方面モテモテ話、彼女も一応、自分が特別枠というのは多少自覚してたようではあります。なんか、一般の普通の女性はみんな目しか見えないので、(チャドルでしたっけ?)顔全体が見えるのは外国人だけ、とか言ってたし。それだけでも非常に違いますよね。 で、その中東方面を一人旅してたので、いとこ様が10回以上死んでいたのなら ヤツは100回位死んでるんじゃないでしょうかねえ??? 5,6年前にはよりによってレバノンやイスラエルに行ってましたわよ。 でもあの頃はクリントンで、今思えば平和でした。ルインスキー姉ちゃん、どうしてるんでしょうか。 でですね、爺ナンパはJR京橋駅前でした。京橋は私も数回しか行ったことがないのですが、東京で言えば、上野か浅草、ですかねえ。JRと京阪が交わる交通の要所でありながら不思議に庶民的かつ、猥雑な町です。 ほいでもって、爺は、急にトコトコやってきて、 「姉ちゃん、モデルみたいやなあ」「別嬪さんやなあ」「どうや、これから飲みにいかへんか」「おいしいところ知ってるで」などとひつこく誘っていたのでした。 そばに私がいたんですけど、軽く無視されていました。あ、社交辞令として「いっしょにどや?」と誘われたのかなあ?その辺曖昧です。 ちなみにその彼女ですが、背は170センチ以上あって痩せていて当時は髪を伸ばしていたので、*後ろから*見ると、確かに米倉涼子みたいだったかもしれない。 しかし、こういう発言をするとあー、人格疑われるかもしれませんが、米倉涼子とゆうよりは「座敷女」by望月峯太郎だったかもしれません……。 投稿者:マルコ 投稿日: 3月27日(木) いいねえ京橋のラテンな爺。そういう楽しい老後を迎えたいものだ(まじか?)。私なんか23歳のときあめでおを仕留めて以来、狩から遠ざかってるのにラテン爺は70歳でまだやってるのか。 >でもあの頃はクリントンで、今思えば平和でした。 >ルインスキー姉ちゃん、どうしてるんでしょうか そうだねええええ、本当だよ。 ベイビーにうつつを抜かしてる「かの方」は平和だったねえ。 しかしあのスキャンダルで民主党が不利だったのでは?そしてゴア君が超僅差で負けちゃって今このような悲劇に世界が突き進んでいるとしたらクリントン、身をつつしめ。とわたしはタイムマシンで言いに行ってやりたいよ。 ...
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