西方見聞録...マルコ

 

 

木曜日の大阪 - 2003年05月15日(木)

 マルコは毎週木曜日は大阪で先生をします。この日は大和路快速で天王寺まで出て、地下鉄の御堂筋線に乗り換え、心斎橋駅でおります。

 天王寺、御堂筋、心斎橋、関東人のマルコにはわくわくする地名続出です。

 心斎橋から1駅分ほど歩くのですがここは「クリスタ長堀」という大変おしゃれな地下街の中を歩くのでとっても気分がいいです。大体10時ころにクリスタ長堀に到達するのですがマルコの担当授業開始の11時まで時間が有るので、ミロの絵が飾ってあるおしゃれなカフェでその日の授業の最終チェックをするのが日課。
(前日の水曜日は夜9時半まで神戸でゼミがあるので、自宅にたどり着くのは夜11時半になってしまい、講義の準備が十分出来ないときもあるので、このカフェでの1時間弱の最終チェックは時々涙目になるほど真剣なり)

 専門学校で同僚の先生の友達もできました。会った瞬間この人と仲良くなれそう!と思ったのは某尾苧差可大学(仮名)の博士課程院生をしている某W先生。W先生は中国の人。はじめてあったときはあまりの流暢な日本語に絶対日本生まれの華人だと思ったら、日本に来てまだ5年目の留学生ということでどびっくり。その華麗な日本語能力の裏の必死の努力に脱帽ですわ。

 マルコは大学3年の夏に中国語を取ってる友達3人とバックパッカー旅行で中国を回ったことがあります。船で神戸から上海に上陸し、なぜか各駅停車の汽車で西安に至り(上海ー西安、2泊3日かかりました)、さらに敦煌へいき、北京を回り南京で南京大虐殺館を見て上海に戻リ再び船で日本に帰りました。この間1ヶ月。1ヶ月間私たちは中国で買った服に着替え、中国人を装い、中国人料金で中国人用の宿に泊まり、旅をしたのです。季節はおりしも酷暑の8月、すごいハードでございました。

 旅行同行者の1人が「もうあなたがたにはついていけません」と、途中帰国者してしまったのだから、そのハードさは押して知るべし。でも私はこのハードな中国旅行で中国の事が大好きになったのも事実。

 さて、W先生に出身を聞くと「西安、知ってます?」とおっしゃる。
「知ってます!1988年に碑林(ペーリン)の近くの招待所に100円くらいで泊まりました!」とこたえると「わあ、私、大学が西安外語大学なんです!1988年は私まだ高校生で故郷の延安にいました。延安はわかります?」というので

私「毛沢東の長征で有名な町ですね。そうするとご両親は共産党幹部??」
W先生「いやー両親はもともと違う町にいたんですけど農村支援で学生が大量に地方に移り住んだときに延安に行ったんですよ、私たち兄弟3人はそこで生まれて育ちました」
私「げげ、それは、ひょっとして文化大革命の下放運動??」
W先生「なんで知ってんですかそんなこと!」

それからしばらくして
私「W先生、3人兄弟の末っ子って、1人っ子政策はどうしたんですか?」と聞くと
W先生「気付くのが遅いですよ!3人兄弟というと、皆さんすぐ気付きますよ。1人っ子政策は私が生まれたあとから始まったので、私たち兄弟は3人いてもOKなんですよ。」とのことでした。

というふうにW先生はとっても生きた中国現代史な方だったのです。W先生との会話は今後も面白いことになるので引き続きレポートいたします。乞うご期待。



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