西方見聞録...マルコ

 

 

アンマンからの手紙 - 2003年04月09日(水)

 さておkのならし保育で今週は大学にも満足にいけません。家でパソったり本読んだりしております。でも今日はゼミの初顔あわせが夕方6時からあったのであめでおに早引きしてもらい、午後4時に法隆寺駅で待ち合わせしておKと後事を託し、私はそのまま神戸にGO。

 結構いろいろとハードルがありそうですわね。
 ゼミでは購読図書の決定を行い、簡単に自己紹介し、机やパソの使用について話し合いかえってきました。10年ぶりにリーディングス(概説書)を読むわけですが、研究書ってのはもう少し親切に書くべきなんじゃないの??これじゃあ消費者=読者にそっぽ向かれるよ。とちょっと思います。でも丁稚どんは大きな口を利けないので黙って勉強します。

 さてマルコはDWMLというメーリングリストを購読しておりますがそこでアンマンからイラクの国民の暮らし@開戦前夜を伝える手紙を拝見しました。書いているのはケン・ジョセフさん。「アガペハウス」という在米日本人支援の活動をご存知の方も多いのではないでしょうか。
 自由に転載して良いそうですが、ただし、記名、かつ改変や一部だけの掲載は行わない、という条件が付いています。
ちょっと長いので別ページにリンクを張ります。
ここをご覧ください。

 この戦争についてマルコはほとんど意見を表明しませんでした。私自身この戦争をどう把握していいものか悩んでいました。1号に「どうして戦争がおこるのか」と問われても明確には答えられませんでした。

 あえて語るのであれば、私はなぜ湾岸戦争後、昨年末までイラク情勢について鈍感だったのかという後悔です。何故バスラのシーア派蜂起と10万人の虐殺について無知だったのか、という思いです。

 アンマンからの手紙で「日本の責任」が語られていてはっとします。すれちがったままかみ合わない議論を重ねるイスラムの国とアメリカ。両者のどちらとも距離をおく文化的背景をもち、そして戦争の痛さを皮膚感覚で知っている日本はなぜもっと両者の仲介役をこなせなかったのか。政府が悪いというだけでなく、草の根の市民の立場でかみ合わないアメリカ側の主張とイスラムの主張をもっと積極的に翻訳すればよかった。湾岸戦争から今度の開戦まで時間は有ったのだから。また政府が悪いと思うのであれば、選挙でしっかり意思表示をしていこうと思います。

 感情的に「誰が悪い」と他者を指弾するのは簡単ですが、その問題を自分の責任として捉える姿勢をアンマンからの手紙の最後で引用されている家永さんの言葉から学びました。

 湾岸戦争、アフガン空爆、そして今回の戦争と続く一連の戦火は人類は武力によってしか問題を解決できないと語っているようですが、私はそうした進み行きに反対です。人類の英知が戦いを食い止める。その理念のもと国連は結成されたのではなかったのでしょうか。日本国憲法の戦争放棄はその理念の実践ではなかったのでしょうか。これからの世界では国連は無力化し、9条は空文化し、人を殺す力のあるものだけが正義を語る権利をもつのでしょうか。
 
 あんまり知られていませんがラオスでは今なお、不発弾の処理が続けられています。第2次インドシナ戦争でアメリカが小国ラオスに降り注いだ爆弾の量は第2次世界大戦の欧州戦線と太平洋戦線で使用した量の合計を上回ります。いまだに不発弾の犠牲になる者は多く、開発はあまりにもゆっくりです。遠い昔の戦争の影とラオスはいまだに戦っています。イラクもアフガンもこれから長く苦しい復興の時代がはじまるのでしょう。

 戦争中やその直前、戦争について語るだけでなくその前後の長い期間、紛争地に注意を払い続けていくべきだと思います。情報を集め続けていくべきだと思います。
 
 そして北朝鮮での懸念を戦火にいたる前に食い止めるために何が出来るのか考えていきたいです。「独裁政権下の抑圧された人々の支援」を武力の行使以外で行う方法とは、何でしょうか。亡命の支援でしょうか。情報の供給でしょうか。政府間市民間の対話でしょうか。知ってる人がいたら教えてください。
 


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