西方見聞録...マルコ

 

 

遺伝子の罠 - 2003年03月19日(水)


 朝起きるといつも両側から2人の若い娘さんが私にむしゃぶりついております。ご存知長女1号@5歳と次女おK@0歳でございます。
 我が家は住宅事情のよろしい田園地帯にございますので寝室もなかなか広くダブルサイズのふとん1とシングルサイズのふとん2で合計大人4人がゆっくり眠れるスペースで乳幼児2名と大人2人がぐーすか寝ております。しかし朝起きると娘2人は私を両側からおしくら饅頭しながら寝ており、夫あめでおが1人広々と快適に安眠しています。我と彼の間には大人2人は眠れそうな無人の布団空間が無意味に広がっています。
  娘2人が寝静まったあと場所を移動してみたりいろいろためしているのですが朝になると必ず娘2人は私にむしゃぶりついております。

 乳幼児の柔肌に包まれて目覚めるこの状態を私は「子ども風呂」と呼んでおります。

 乳幼児の柔肌は魔物です。 その気持ちのよさはベルベットどころの騒ぎではありません。その弾力のあるお子様方の肌に触れていると脳の中でドーパミンが炸裂する音が聞こえ、「仕事も富みも名誉も地位も何にもいらん!わたしゃこの柔肌におぼれていたいー!!」という境地に至ることがままございます。これをわたしは“遺伝子の罠”と呼んでいます。

 遺伝子さんは自らの存続のために乳児の母を子育てに没頭させようといろいろと罠を仕掛けてくるのです。罠は柔肌だけではありません。全身全霊を傾けて母を求める乳幼児の泣き声。これも罠です。母であればボケでもかすでも子どもは許し、必要としてくれるのです。ありがたいことです。こんな私でも許し求めてくれるなんて。申し訳ないことです。

 必要とされると人は癒されます。

 しかしこれも罠です。

 冷静になって大脳で考えてみましょう。例えばこの罠にはまって人生を子育てに捧げたとします。子どもはあっという間に大きくなります。大きくなった子どもは自分に人生捧げた親をどうみるでしょう。

 私が子どもならそんな怖い親は嫌です。自立という普通の作業が親の存在を否定するなんてあほらしいです。

 別に仕事や地位がなくてもいいので少なくても「自分の人生」をもってる親でいて欲しいです。打ち込める趣味でも、おっかけでもいいのです。子育ては「片手間でちょいちょいっとやっちゃったわ」というスタンスでいてくれると子どもは楽です。

 たとえホントは子どもの事が人生の最優先事項になっちゃったとしてもソレは子どもには内緒です。私の人生で一番大事なのはケミストリーのライブよ、といえる親になりたいです。
 「ケミストリーのライブ」の部分は人によって置換可能です。


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