夭折 - 2002年11月22日(金) 一つ年下の従弟が死んだ。 死因はくも膜下出血で、9月に倒れ、そのまま目覚めなかった。 この従弟は私の父方の従兄妹たちの中で文句無くもっとも優秀で光り輝くような人だった。当たり前のように東大に入り、当然という顔で東大の博士課程で研究していた。 しかし8年前突然、その栄光のキャリアを捨ててソーシャルワーカーに転進した。 カウンセリングの新しい方法を考える仲間たちと出会い、カウンセラーとなるべく再出発をしたのだと聞いた。 私は自分の第1子の出産時にこの従弟に心からのサポートを受けている。 難産の末に生まれた娘1号は泣き狂う赤ん坊だった。授乳時間の間隔は1時間もあかず、疲労で毎日が地獄だった。しかも産後43日には職場に復帰することが決まっており、この泣き赤子が生後4ヶ月に達すればフィリピンに出張することまで決まっていた。せめて普通に育ってくれれば良いのに、娘は生後3ヶ月を泣いて暮らした。 私も短い産休中をただ泣いて暮らした。 そんな中、あまり交流が無かったこの従弟が突然手紙をくれた。従弟は短い手紙とともに助産婦さんやカウンセリングの専門家で作っている雑誌を同封してくれた。 そこには「難産で生まれた子はバーストラウマを癒すためによく泣く。しかし泣くのはその子どもが必要だから泣いているので下手に泣き止ませずにしっかりと抱きしめて心行くまで泣かせてあげれば子どもの心は安定する。」 という趣旨のことが書かれていた。 私は救われた。 赤ん坊の泣く原因がわからず、本当に怖かった。しかし「赤ん坊は泣いていいのだ」と肯定されてやっと私は長かったマタニティーブルーから解放され、 予定通り、職場復帰を果たした。 その後も従弟とは時々手紙をやり取りした。いつも私が育児の不安・疑問を尋ねると丁寧に返答してくれた。 彼の通夜に参列するため、夫に仕事を休んでもらい、娘たちを夫に託し、私は単身上京した。法隆寺から通夜会場まで片道5時間、日帰りするので終電の23時半に法隆寺駅に帰りつくため通夜会場には1時間半しかいられない。 読経のはじまる少し前に会場に着き、最後のお別れをさせていただく。きれいな、若々しい死に顔だった。 あなたに救ってもらって、私は母親になれた。 あなたに心からの感謝を捧げ、その早すぎる死を悼みます。 ...
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