2004年08月06日(金)
この間「さとうきび畑のうた」が再放送されてて
オレはもうこれを観るのは6回目か7回目だけれども
正直、ストーリーは勿論 台詞も覚えてるくらいの勢いなのですが
こないだはどうしても最後まで見る事が出来なかったオレ。
キツイとゆーか、状況を重ね合わせると痛い気がして。
臭いものには蓋をする、なんつー感覚で
戦争モノのドラマを途中で投げ出すなんざ
大人としてへなちょこ突進号っつー感じが無きにしも非ずですが
辛くて痛いのは、「あの当時の現実」では無くて
「これから起こったらどうなるであろう未来」だったり。
オレはオレの大好きな人を無くさずに生きていたいと強く願うし
それが事故であれ天災であれ戦争であれ
どの無くし方も嫌だとは強く思うけれども
それでも人が人を殺す行為が許される状況には追いやりたくない。
殴られたら痛いという事、死んだ人は戻らないという事
当たり前の事実を噛み締めて生きていない人がどれだけいるんだろう。
当たり前の事実、っつー事実を教わってねぇはずはないんだ
人を殺した子供の親が、人を殺すように教育してるはずも無い・はず。
宗教上の命の考え方の差異は確かに存在するかもしれないが
今までにこやかに笑ってた大事な人が呼びかけても動かない事実を
楽しいなんて感情で括るやつなんて絶対に居ないとオレは思う。
オレがいつか親になった時に どうやったら正しく教えてあげられるだろう。
殴られて痛くない人はいない、殺されて死なない人はいない。
その事実と「だからやっちゃ駄目だ」っつー結論を どうしたら上手く結べるのだろう。
体の痛みと心の痛みの違いを オレは上手く教えてあげられるだろうか。
とてもとても絵空事状態の綺麗事だけれども
オレは本当の事を言うと、自分の身内しか大事じゃない。
家族や本命や本命の家族や大事な友達や
それだけがいつも幸せで 楽しい顔をしてるならそれでいい。
死にたいやつは勝手に死ね、本気でそう思ったりもするけれども
でも死にたいやつにも家族や大事な人がいて
大事な人を泣かせたくないから死なないで生きる、
そう思ってくれてれば 廻りまわってみんな幸せになれるのに。
幸せの定義は人それぞれで、でも苦しめたくない思いに大差は無ぇだろ?
3年前まで グラウンド・ゼロつったら
広島と長崎の爆心地の事だったはずなのに
今ではツインタワーの跡地がグラウンド・ゼロの総称で取り上げられる。
人が人を殺して、何が変わるって言うんだろう。
願わくば、これ以上「グラウンド・ゼロ」が増えませんように。
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