【復活!】ダイエットなDIARY
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床屋行ってきた。
もちろん徒歩である。
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チケットをもらったので『草の乱』を観て来た。
秩父事件を主題とした最近では珍しい映画だ。
事件そのものについては、日本民衆史に片足をつっこんでしまった人間としてかなり詳しいので、史実や歴史解釈の点ではたくさんの文句はあるが、それはここでは書かない。
要は、映画として出来はどうだったか、という点が問題なのであるが、これがちっとも面白くない。
テーマは重要であるし、時期的にもタイムリーなのだが、映画としての必然性や工夫がほとんどないと言ってもいい。
脚本も新味がまったくないし、映画自体の終わらせ方も、これでいいのか?という疑問が残る。
秩父事件は単なる「暴徒」ではない、つうことがテーマの一つなのだが、そしてそんなせりふも出てくるのであるが、それが「映像として」あるいは「エピソード」として表現されておらず、映画を見る限りでは、最終的に、鎮圧されてしまった暴動としか描かれていない。
脚本上の面白さもほとんどない。 人物の描き方があまりにもおざなり、つうか典型的な描き方でしかない。
苦しむ民衆を武力で鎮圧すべきだと主張し、日本の近代化のためには農民の犠牲など意に介さない政治家たち(というか薩長政権の指導者たち)がでてくるが、山県有朋など、「ぬわっはっはっはっは」とか笑っちゃうほどである。
おいおい、最近では、水戸黄門でさえ、悪人をもっとリアルに描くぜ・・・・。
と、そう思わざるをえないのでアル。
テーマが、現在の日本の政治状況にとってあまりにも重大であるだけに、このおざなりさは、かえすがえすももったいないことである。
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政治状況といえば、自民党の内部でも小泉首相への批判がある。
昨日、共同通信では自民党有力者たちが小泉のやり方を「独裁的と批判」と配信した。
通信社からの配信を受けて新聞社をはじめとする各メディアがそれぞれ放送・配信する。
その過程で、メディアは彼らなりの編集というか、語句やニュアンスを変えて使う。
NHKでは「独善的と批判」に変えられていた。
「派兵」を「派遣」といったり、「下請け」を「アウトソーシング」といったり、こういった小ざかしい言葉遊びは官僚社会日本では珍しいことではない。
つうか、日本に限ったことでもない。
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うーーん。
原稿がまたたまりつつある。
南の島へでも行きたい。
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