【復活!】ダイエットなDIARY
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2001年12月10日(月) 未来

うわ!
もう12月ぢゃんっ!!!!


つうかもう10日だが。


とりあえず日記を書く。
しかも意味もなく読点を入れないで書いてみようと思う。

今日も原稿の直しを終えて出校した。
これだけ頻繁に郵便局で書類封筒をだすのであるから少しは郵便料金ぐらいは覚えていても良さそうなものなのであるがこれがちっとも覚えられていない。
今日も机の上に放置してあった80円切手が二枚あったのでとりあえずそれを貼って持っていき足りない分を払おうと思っていたのだがこれが実は貼り過ぎだった。




などと遊んでいる場合ではない。

最近忙しかったので、そしてこの忙しさはまだまだ続いちゃうのであるが、今日、改めて師走を実感した。


なんというか、最近というか、ここ数年、遊びにも行っていない。

何をもって遊びというのか、それさえもはっきりしてはいないのであるが。

酒は毎週家でも外でも飲んでいるが。


そういうわけで遊んでくれる人大募集


遊びといえば、猫が寒いのにもかかわらず遊びまくっている。
元気である。
たまに草を食べて吐いたりもするが、元気である。


長田弘という詩人のエッセイに『ネコに未来はない』(角川文庫)という傑作がある。

その本で知ったのであるが、ネコは前頭葉が発達していない。

なので、少し先のこと、たとえば、獲物の行動の先を予測することぐらいはできるが、明日の事や将来自分はどうするか、とかは考えない。

というか考えることができないそうだ。


彼らには、「未来」などという概念はないのである。




だが、これは不幸な事だろうか?



彼らは、常に今を、今だけを生きている。

今の、この一瞬を、それだけを生きているのである。

不治の病を宣告された人間は、その時になって初めて今を生きる事の大切さを知るという。

そんなことは、猫には当たり前の事なのである。

象も死期を悟ると死に場所を求めてひっそりと群れから離れて行くという。




今を生き、自分の死を生きるのである。


哲学的にいえば、猫とか動物の方が人間よりも、よっぽど高い次元にいるのかもしれない。



さて、この忙しいときに、といっては不謹慎であるが、お世話になっている先生のお父さんが緊急入院した。

高齢なので予断を許さない状況だそうである。

お会いした事はないが、戦争に二回も行っている人なのである。


オレの周辺では、さらに忙しくなりそうな雰囲気が漂いまくりである。

今日は別の原稿のゲラが届いたので、これもやらねばならない。


が、シーズンの初めに風邪をひいちゃったようで、またなるべく電車などには乗らないようにしている(すでに一ヶ月乗っていない)ので、体調は結構万全で、脳力も気力も結構ある。

明日は取材と調査を兼ねてまた出かけなくてはならない。


これも元兵士の人のお宅訪問である。




明日はこの人の事を書いちゃおう(笑)。


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