【復活!】ダイエットなDIARY
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2001年03月13日(火) 入院(第一夜)





またまた久しぶりのニッキである。
いつものようにサボっていたのだと思われるだろうが、今回はそうではない。
なんと入院していたのである。

入院したのは初めてである。
そこで記念の意味でも(笑)、以下に、時系列を追って入院の様子を記しておこう。
長いので、数回に分けることになる。


3月9日金曜日。
夜8時。
フジテレビの『ワレワレハ地球人ダ』を観る。
今回は見ると死ぬといわれる「呪いのドクロ」をスコットランドまで探しに行くという企画の完結編だ。
で、ドクロを見る。
番組では、音声スタッフの女の子が高熱で寝込んでいたりしたが、結局、ドクロはそれほど古いものではなく、伝説はホテルのオーナーのでっち上げであったことが判明した。
その後夕食を摂る。
夕食は野菜とキノコ類をたっぷりと使った焼きタンメンだった。
焼きタンメンは、初めて作ってみたが、塩味の焼きそばのようなものである。
食材に使ったキノコとか野菜がちょっと古かった。
しかし、古いといっても、オレは神経質なので、買ってから2,3日程度の古さである。
寝る前から、ちょっと気分が悪かったのだが、それは空腹と疲れから来ているものと思っていた。
なにせ、帰国後、たまっていた仕事を週末までになんとか片付け終えたからだ。
だからグラス一杯の赤ワインを飲んで早めに就寝したのである。

3月10日土曜日。
朝(深夜)2時ごろ、突然目を覚ます。
めちゃくちゃ気持ちがワルい。
そのままトイレに行って嘔吐。
夕食を戻す。
その後も嘔吐は止まらず、ぬるま湯を飲んでは吐き戻すというカンジで2時間過ごす。
吐くものがなくなり、朝の4時ごろ気絶するように寝る。

が、2時間後、再び異常な吐き気で目がさめる。
悪寒もすごい。
トイレでふたたび吐き戻す。
吐くものがなくなっても吐き気は止まらない。
震えもものすごく、足腰の関節が痛くなってくるほどである。

その状態で2時間経過、すでに朝の8時である。
気持ち悪いし、トイレは寒いので、ファン・ヒーターを全開でつけた部屋の中で洗面器を抱えてうずくまっているヘンな態勢である。
その態勢のまま、すでに動けないぐらいに症状は悪化している。
やっとのことで電話にたどり着き、ためらった末、119番に電話をする。
症状と住所や氏名などを話し、救急隊に来てもらう。

やがて近所で救急車のサイレンが止まる。
自分で呼んでおいて何だが、「ああ。救急車だ。朝からどこの家だろう」などと考えていた。
しばらくしてから「あ。オレだ」と、思い出す。
そのころドアのチャイムが鳴らされる。
なんとか立ち上がり、とりあえず家の鍵と携帯と充電器と保険証と財布だけをリュックに投げ入れ、ファン・ヒーターを切る。
最後の力を振り絞り、TVの前に出しっぱなしになっていた数本のアダルトビデオを押入れに隠す(笑)。
ドアをあけると救急隊の人達は全部で3人だ。
部屋は二階にあるので、担架は遠慮し、肩を借りて歩いて降りる。
ストレッチャーとかなんとかいう可動式のベッドに横になり、名前や症状などを聞かれる。
ひとりは血圧や体温、脈拍などを測定している。
やっと横になれたのと、人に助けてもらえることとのダブルの安心感でほっとする。
瞳を閉じた闇の中では「・・・35歳。男性。意識あり。歩行可能」などと無線のやり取りがきこえてくる。
歩行可能だが、それは予備タンクの燃料をつかったからである。
やがて搬送先の病院が決まったようで救急車は走り出す。
もちろんサイレンは鳴らしている。交差点でも、「救急車両が通過します」とか言ってる。すげー。なんかちょっとだけ王様気分である。

あっという間に救急指定病院へ到着。
寝たまま、そのベッドを下ろすとキャスター着きの脚が出てきて(だからストレッチャー?)、病院の中へ。
看護婦と、宿直医のような若い医師に渡される。
また血圧や体温、脈拍などをとられ、症状を聞かれる。
その医師は外科医だったらしく、途中で内科医に変わる。
で、また症状をきかれる。
その頃には、症状を説明するのも慣れてきており、流暢に説明する。
人間はどんな状況にあっても学習能力は働くものだ、などと説明しながら感心したりしている自分がいる。

ちなみにどんな症状かというと、まず強烈な吐き気と胃の出口付近から十二指腸にかけての痛み。
高熱からくる悪寒。
両足の裏から、脚の内側から鼠蹊(ソケイ)部、つまり股の付け根にかけて関節の激しい痛み等である。

問診、触診と続き、脱水症状があるのですぐにリンゲル液の点滴が始まる。
その後、採血を二回され、胸部および腹部のレントゲン撮影。

事務員らしき女性が書類を持って入院の説明をしているが、そんなものは聞き流すだけしかできない。

熱のため時間経過はよく覚えていないが、あっという間に空いている病室のベッドに入っていた。

点滴はずっと続いており、ちっとも症状はよくならない。
つうかどんどん辛くなってゆくばかりである。

一時間ぐらい経ったろうか。
看護婦が駆け込んできて、血液検査の結果で炎症反応がでているからといって抗生剤のパックの点滴を付け加えて開始する。
だから関節が痛いって言ってんだろーが!


また数時間経過、熱もドンドン上がってきている様子だ。
それに関節の痛みも激しくなってきている。
先に書いたように、足の裏からソケイ部までの関節がことごとく痛い。
その上、肛門周辺から尾てい骨、腰にかけてのすべての関節まで痛くなってきていた。
つまりリンパ腺に沿ったところが激しく炎症をおこしているのに違いない。
足から順に身体が分解されてゆくように痛いのである。


断っておくが、肛門では悪いことはしていない。
風邪は先々週、つまり帰国早々にひいたばかりだったし、原因はちっとも思い浮かばない。
まさか呪いのドクロのせいではあるまい。
そう、自分に言い聞かせたのも今となっては微笑ましいが(笑)、その時は必死であった。


オレは、「う”ーー。いてーよー」「ピーーンチ」「やべー。いたすぎー」「マジで、ピーーーンチ!」などと切れ目なくつぶやき続けていた。しかも小声でだ。
苦し紛れ、というヤツである。


いったん、痛みを必死に無視して携帯から電話をする。
携帯は禁止だろうが、背に腹は変えられない。
ひとつは埼玉の実家へ。
もうひとつは同じ市内に住んでいる唯一の知人である。

この知人というのは、イギリスへ留学していた時に知り合った女性である。
たまたまこの佐倉市に住んでいることが分かったのである。
一昨年、一、二度会ったことがあった。
あまり親しいとはいえなかったが、おぼれるものはなんでもつかんぢゃうのある(笑)。

幸運なことに彼女は休日で自宅にいた。
とりあえず着替えと、ミネラルウォーターなどをコンビニで買ってきてもらった。

それにしても悲惨な姿を見られたものだと思う。
しかも、運び込まれたときに、ハンテンを着た腕を捲り上げて点滴針を差し込まれ、それが固定されてしまっているので脱ぐことも出来ないし、さんざん嘔吐もした後だから悪臭もしていただろう。
駆けつけてきてくれたのであるが、高熱のため、こっちはまともな応対も出来なかったしなあ。
ううむ。


夕方、医師が治療方針の説明にやってきた。
しかも5時ごろである。

1)白血球の数値が以上に大きく、何かの細菌感染が疑われる。
2)扁桃腺が腫れているので、扁桃腺炎の可能性がある。
3)炎症反応が強く出ているので、これは上記二つを指示する数値である。
4)レントゲン等の映像では異常は見つからない。
5)消化器(胃)の痛みと吐き気も細菌によるものだと推測される。
6)抗生物質(剤)で細菌を叩きつつ、食事も吐き気のため出来ないので点滴による水分と栄養分を補給をする。
等が主なものだった。


その後、抗生剤はいっこうに効き目がない様で、体温もどんどん上昇。
39.4度に達し、コレハマジデヤバイカモ状態に。

看護婦が氷枕と、小さな保冷剤を二つ持ってきてくれた。
保冷剤はソケイ部を冷やすためだ。

高熱のため、いろいろなイメージが頭の中というか空中を飛び回り始める。
それはこうもりの羽と小さなライオンのような、赤塚フジオのマンガにでてきたニャロメのような身体を持ったオレンジである。
オレンジは果実のオレンジであり、それが顔の部分にあるのだ。
表面はオレンジらしくブツブツだらけである。
身体の色もくすんだオレンジ色でとても明るい。
それらがオレの頭上をコウモリのように飛び回っている。
よくみるとそのオレンジには大きな一つ目がある。
が、ちっとも恐くなく、どこか愛らしい小動物といったカンジだった。


熱は全然下がらず、抗生剤も効かず、羽の生えたオレンジたちに取り囲まれながら、リンパ腺と肛門周辺の痛みのため一睡も出来ない長い長い夜の始まりである。

(つづく)


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