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長沼健の復讐 - マレーシア - 2005年09月20日(火)

さて、最近なぜか日本のサッカー界がが微妙にアセアンと繋がりを
持ち始めていると感じます。


思いつく限りを挙げてみると…

■横浜FC、ベトナム遠征 (2003/02)
■JFL選抜がインドネシア遠征        (2003/07)
■JFA、カンボジアのユース対象のキャンプ  (2003/12)
 
■新潟がシンガポールリーグ参戦 (2004〜)
■日本代表、マレーシア代表と親善試合     (2004/02/07)
■日本U19代表がシンガポール遠征      (2004/07/02)
■浦和、タイ遠征を計画        (2004/12) ※津波のため中止
 
■磐田、ベトナム遠征 (2005/05/28)
■鹿島、フィリピンのクラブチーム関係者視察受け入れ(2005/07)
■磐田、ベトナム人選手留学引き受け  (2005/07)  ※計画中
■JFA、ミャンマーU23代表来日支援へ (2005/09)  ※ミャンマーの情報
■日本U20代表、ベトナムの大会参加へ (2005/10)



というように、2002年以前は、フィリピン代表監督さんが
日本人だった、くらいであまり交流がなかった印象があるのですが、
小倉純二さんがAFC総会で2002年にFIFA理事に選出されて
から、結構交流が増大した感があります。



んで、この前1972年9月号のサカマガのコピーを読んでいたの
ですが、こんな記述があったりしました。


 アジア制覇こそ早急に手掛けねばならない大事業。これは昨年の
 ミュンヘン五輪予選で敗れた時、サッカー関係者の誰もが痛感した
 反省だった。その時の岡野全日本監督、そして長沼協会技術委員長は
 異口同音に「ヨーロッパや南米のサッカーに目を向けすぎたきらいが
 あった。アジアでリーダー・シップがとれないものが、世界へ挑戦しても
 意味がない」と語ったものである。

 〜アジアの初制覇を目指す全日本!
  <第16回ムルデカ大会にかける日本チームを解剖>より




ムルデカ大会とは、当時マレーシアで行われていた五輪、アジア大会
に並ぶデカいサッカー大会でありました。

(日本にとっては、W杯本大会云々ではなかったらしい)


A代表はこのコメントの30年後にある程度実現したんじゃないか、と
思いますが、


> ヨーロッパや南米のサッカーに目を向けすぎたきらいが
> あった。アジアでリーダー・シップがとれないものが、
> 世界へ挑戦しても意味がない


を、次はクラブでこーなって欲しいよなぁ、と思っているので、
交流は個人的に嬉しいです。




ちなみに、第16回ムルデカ大会の全日本(なんてイカス言い回し
なんだ)の監督は長沼さんで、サカマガの同じ号に載っていた
以下のコメントに、当時の日本の実力が表されていると思います。


 −−−−(第16回ムルデカ大会での)ライバルはどこか?

 長沼監督:
 
 やはり、マレーシア、韓国、それにビルマの3国。ことにマレーシアは
 (ミュンヘン)五輪出場の前哨戦として張り切っている。それに、
 マレーシアとビルマは生活環境以外でも有利に働くだろう。

 −−−−ズバリ勝算は?

 長沼監督:
 
 もちろん優勝です。ソウルでは、マレーシアに思わぬ足元をすくわれたが、
 試合内容から見ても、あんなマレーシアごときに負けるはずがない。
 入れられた得点も、こちらの守りがバラバラにされ、どうしようも
 なくなったというケースでなく、雨やグラウンドコンディションに災い
 された得点だった。

 ここで、マレーシアの鼻柱をへしおり、韓国をたたくことが、再起を
 めざす日本には、どうしてもやっておかねばならないだろう。

 そんなことより”借りは一番早い時期に返しておかねば!”の気持ちの
 ほうが強い。

 (しゃべっているうち長沼監督の語気は、自然とはげしくなった。
  マレーシア、韓国を叩くことは日本サッカー再起につながることは
  承知しながらも、むしろ”親分長沼”の負けじ魂が、その表情から
  読み取れるのだった)

 …(以下略)

 〜長沼全日本監督インタビュー
  <”借り”は一番早い時期に返す>より ※太字は当方による



そして、ムルデカ大会ではGLでマレーシア(Aチーム)と日本は激闘。

 結果は。。。

 グループリーグ: マレーシア 3 - 1 日本
 準決勝    : 韓国 3 - 0 日本 (※日本はGL2位で準決勝へ)
 
うう…。

でも、カンボジア(クメール)には4−1、ミャンマー(ビルマ)には
6−1、フィリピンには5−1で勝っております。




まあ、先程”交流はいいよな”とか言いましたが、2004年の2月
という、クソ寒い時期に、さらに冷えるカシマスタジアムでマレーシア
代表を呼んだりした現在のJFAのお偉いさんたちは、


 ”日本のアジアでの貢献”の裏にある
 アジアへの復讐長期計画


を立てていると思います(笑)



...



 

 

 

 

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