長沼健の復讐 - マレーシア - 2005年09月20日(火) さて、最近なぜか日本のサッカー界がが微妙にアセアンと繋がりを 持ち始めていると感じます。 思いつく限りを挙げてみると…
というように、2002年以前は、フィリピン代表監督さんが 日本人だった、くらいであまり交流がなかった印象があるのですが、 小倉純二さんがAFC総会で2002年にFIFA理事に選出されて から、結構交流が増大した感があります。 んで、この前1972年9月号のサカマガのコピーを読んでいたの ですが、こんな記述があったりしました。 アジア制覇こそ早急に手掛けねばならない大事業。これは昨年の ミュンヘン五輪予選で敗れた時、サッカー関係者の誰もが痛感した 反省だった。その時の岡野全日本監督、そして長沼協会技術委員長は 異口同音に「ヨーロッパや南米のサッカーに目を向けすぎたきらいが あった。アジアでリーダー・シップがとれないものが、世界へ挑戦しても 意味がない」と語ったものである。 〜アジアの初制覇を目指す全日本! <第16回ムルデカ大会にかける日本チームを解剖>より ムルデカ大会とは、当時マレーシアで行われていた五輪、アジア大会 に並ぶデカいサッカー大会でありました。 (日本にとっては、W杯本大会云々ではなかったらしい) A代表はこのコメントの30年後にある程度実現したんじゃないか、と 思いますが、 > ヨーロッパや南米のサッカーに目を向けすぎたきらいが > あった。アジアでリーダー・シップがとれないものが、 > 世界へ挑戦しても意味がない を、次はクラブでこーなって欲しいよなぁ、と思っているので、 交流は個人的に嬉しいです。 ちなみに、第16回ムルデカ大会の全日本(なんてイカス言い回し なんだ)の監督は長沼さんで、サカマガの同じ号に載っていた 以下のコメントに、当時の日本の実力が表されていると思います。 −−−−(第16回ムルデカ大会での)ライバルはどこか? 長沼監督: やはり、マレーシア、韓国、それにビルマの3国。ことにマレーシアは (ミュンヘン)五輪出場の前哨戦として張り切っている。それに、 マレーシアとビルマは生活環境以外でも有利に働くだろう。 −−−−ズバリ勝算は? 長沼監督: もちろん優勝です。ソウルでは、マレーシアに思わぬ足元をすくわれたが、 試合内容から見ても、あんなマレーシアごときに負けるはずがない。 入れられた得点も、こちらの守りがバラバラにされ、どうしようも なくなったというケースでなく、雨やグラウンドコンディションに災い された得点だった。 ここで、マレーシアの鼻柱をへしおり、韓国をたたくことが、再起を めざす日本には、どうしてもやっておかねばならないだろう。 そんなことより”借りは一番早い時期に返しておかねば!”の気持ちの ほうが強い。 (しゃべっているうち長沼監督の語気は、自然とはげしくなった。 マレーシア、韓国を叩くことは日本サッカー再起につながることは 承知しながらも、むしろ”親分長沼”の負けじ魂が、その表情から 読み取れるのだった) …(以下略) 〜長沼全日本監督インタビュー <”借り”は一番早い時期に返す>より ※太字は当方による そして、ムルデカ大会ではGLでマレーシア(Aチーム)と日本は激闘。 結果は。。。
うう…。 でも、カンボジア(クメール)には4−1、ミャンマー(ビルマ)には 6−1、フィリピンには5−1で勝っております。 まあ、先程”交流はいいよな”とか言いましたが、2004年の2月 という、クソ寒い時期に、さらに冷えるカシマスタジアムでマレーシア 代表を呼んだりした現在のJFAのお偉いさんたちは、 ”日本のアジアでの貢献”の裏にある アジアへの復讐長期計画 を立てていると思います(笑) ...
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