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ビルマのサッカー、ミャンマーのサッカー - ミャンマー - 2004年12月20日(月)

タイガーカップでまさかのグループ首位となり、準決勝に進出する
ミャンマーですが、そのへんについて色々探っていると、なかなか
面白い記事を発見しましたので、要約します。

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■サッカーとビルマのナショナリズム
Soccer and Burmese Nationalism (Online Commentary)

By Wai Moe
December 17, 2004


ビルマ代表がタイガーカップ2004グループBを首位で終え、
大会開始の96年以来、初のベスト4へと進出した。

このビルマ代表躍進にほとんどの人々は驚きを隠すことが出来ない
ものとなった。メディアは若手中心のビルマ代表をダークホースと
呼び、70年代以来東南アジア地域で陽の目を見なかったチームに
注目している。




ブルガリア人のビルマ代表イヴァン・コレフ監督は、今回の勝利は
ファンの声援が大きかったとして、「ファンは12番目の選手だった」
と述べた。


ビルマ対レーシア戦で目撃したのは、6千人ものビルマ人が詰めかけ、
ビルマ語で書かれた「黄金のビルマ」「我々ビルマに勝利を!」などの
横断幕を掲げていた。その中には、民主化運動のシンボルである孔雀を
揚げたものもあった。

ビルマが得点すると、多くのビルマ人観客が「我ら、ビルマ人、勝利!」
という歌が湧き上がった。この歌は、30年程前にはよく歌われたもの
だった。




他のアジア諸国同様、ビルマでもサッカーは最もポピュラーなスポーツだ。

だがビルマ全土でプレイされているとはいえ、隣国タイの学校がサッカー
のフィールドを確保しているのに対し、ビルマではほとんどそういった
ことはない。故にビルマの小さな子供達は、路上や畑でサッカーをプレイ
する。サッカーシューズを持っている子供達は少なく、多くは裸足だ。


60・70年代、ビルマは、SEA GAMESにおいて5連覇を成し
遂げた。66年と70年にはアジア大会でも優勝。当時のサッカー選手で
あるバハ・ドゥー(Baha Doo)やウィン・ライン(Win Hlaing)といった
人物は、国のヒーローであり、おなじみの名前でもあった。

だが、ビルマのサッカーは後に大きく後退した。政府が干渉を始め、
そして間違った指導方針が問題の原因だと言われている。




現在、ビルマには2万人のサッカー選手がおり、600のクラブがある。

つけくわえると、ビルマ人選手には、隣国のプロリーグでプレイする選手
もいる。


1988年、(ミャンマーの)軍事政権は「ミャンマーのスポーツ界は
世界へ羽ばたくべき」とのスローガンを発表した。ビルマのスポーツ委員会
は軍部によってコントロールされるようになり、10月に失脚したキン・ニュン
大将(首相)がビルマスポーツ委員会、ビルマ五輪委員会のチェアマンを
兼任した。政府は国家主義的な機運を、スポーツを利用して作り出そうと
したのである。


だが、サッカーの試合は多くのビルマにとって、このような政策に反対
する絶好の場所となった。人々はサッカーだけを観に行くだけのものでは
なくなった。


例えば、軍隊のチームと市民のチームの間で行われる試合では、常に
騒がしいものとなった。

軍隊チームの選手がファウルを犯すと、怒りの言葉を軍隊チームに
ぶつけるのだ。

例えば「暴力メーカー!」「うそつき野郎!」「人でなし!」と言った言葉だ。
言うまでも無く、観客は軍隊チームが敗れるのを期待している。



現在のビルマ代表の準決勝進出という栄光は、現政権とそれに反対勢力
共に「プライド」をもたらした。反対勢力のビルマ・ファンドのウィン・ミン氏は
「ビルマ代表は、ビルマの人々のために勝利せねばならない」と語った。


http://www.irrawaddy.org/aviewer.asp?a=4219&z=29

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この記事を訳していて気づいたのですが、この雑誌、現政権に対して
ミャンマーという言葉を使い、デフォルトではビルマ、を使っています。

タイのバンコクポスト紙は常に"ビルマ"を使うのですが、なんだか
微妙な関係があるのでしょうね、きっと。



海外でプレイするミャンマー人選手と言うのは、噂があったことは事実ですが、
今は聞いた事がありません(ビルマ系、なら居るかも。インドとか)。

ついでに五輪委員会とかの会長は知りませんが、現在ミャンマーサッカー
協会の会長は軍部(政府)の人じゃなかったと思いますです(たしか今年1月に
変わっているハズ)。


文中にあったように、軍隊・政府系チームが嫌われるちゅーのは、なんだか
東欧とかでもあったような気もするエピソードだと思うので、古今東西、
政情が不安定な国での軍隊チームってのは、好かれないもんなんだなぁ、と
いう気がします(ちなみに、ミャンマーじゃあんまり強いチームじゃないです)。


まー、この雑誌はかなり民主化運動のどーたら臭いので、あんまり
サッカーの参考にならないかもしれません。あえてサッカーを取り上げて
利用しているきらいも無きにしもあらず、なので。



でも、スタジアム熱狂度は、もしかしたらベトナム・インドネシアぐらい
高いのかもしれませんね。これまで結構報道がありましたけど、野次を
ぶつけるコツや、相手をビビらせるコツというのは、60年代くらいから
伝統がありそうです。

チョウ・ディンさんが、この辺も教えてくれれば、今頃日本代表の
試合を行う国立競技場は、

トーキョー要塞

として世界に名を轟かせたのではないかと思うと、残念で
なりませんが(笑)


...



 

 

 

 

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