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ドイツW杯2006アジア地区予選プロフィール - カンボジア - 2004年06月04日(金)

前回からの続きで、今回はカンボジア。


■カンボジア プロフィール



ゆっくりとたどり着くカンボジア
- Slowly getting there


長い間国を悩ました政治的混乱の状況から考えれば、カンボジア代表
チームは近年、実際に多くの点で改善されてきたといえる。


日韓2002W杯予選ラウンドでは、中国・インドネシア・モルジブと
同グループとなり、そこでは最下位となったものの、第1戦で0−6で
負けたモルジブ相手に、第2戦では1−1で引き分ける健闘を見せた。



しかしながら、カンボジアにはプロ・リーグは存在せず、ゆえに発展の
スピードは急激ではない。

Hok Sochetraは代表チームのトップスコアラーであり、64試合出場中、
42ゴールをあげた選手ではあるが、W杯予選が終了すると同時に、
携帯電話会社に戻るために代表から離脱せねばならなかった。

Hok Sochetraは東南アジア地域の中でもベストストライカーの一人と
して挙げられる選手である。2000年のタイガーカップでは、ラオス
相手に2得点を挙げ、3−0の勝利に貢献した。



カンボジアは、2006年のドイツW杯への参加を取りやめた。
ユース及びクラブのレベルでサッカーの環境を開発することに
専念するためだ。


だが、カンボジアが2004年のタイガーカップの開催国になる
という話は、関係者と政府のサポートをよりよいものにするに
違いない。




■カンボジアサッカー協会:


設立     : 1933
FIFA加盟 : 1953
W杯本大会出場: なし
W杯最高成績 : なし
地域の大会成績: なし



■一口メモ

1974年から95年まで、カンボジアが国際試合に出場
しなかったことは、そのカンボジアの政治状況を反映している。

彼らがW杯という国際舞台に帰ってきたのは、フランス98年
大会のときである。

インドネシアに引き分けるという快挙を成し遂げた以外には、
敗戦のみとなったが、少なくともそれが彼らの再スタートの
始まりとなった。


4年後の2002年大会予選には、中国と同グループに入り、
各国のアウェイでは2桁のスコアで負けると予想されていた。

現実は、モルジブ相手に引き分けを見せたものの、グループ
最下位という結果に終わっている。



http://fifaworldcup.yahoo.com/06/en/t/team/overview.html?team=cam
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あ、実は結構カンボジアサッカー協会って、古いんだな。

一応補足すると、タイガーカップは結局カンボジアが開催国を
辞退してしまいました(出場するはずだけど)


74年から95年まで国際試合に出場しなかったとありますが、
戦後からカンボジアの国名は

1948-70 カンボジア王国
1970-75 クメール共和国
1975-79 カンプチア民主共和国
1979-89 カンプチア人民共和国
1989-91 カンボジア国
1991-93 カンボジア最高国民評議会(国連統治)
1993-  カンボジア王国

こんな感じで変わっております。はい。
(詳しくは自分で調べてくださいね)

そりゃ、こんな状況じゃなかなか出られますまい。


復帰した95年は、SEA GAMES(東南アジア競技大会)
の出場ですね。このときはインドネシアに0−10、タイと
マレーシアに0−9で敗れています。

それから考えると、確かに進歩はしているなー。

てなわけで、もうちょっと時間が必要になりそうな、カンボジアン
サッカーであります。


...



 

 

 

 

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