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僕らはインドネシアのサッカー団体 - インドネシア - 2004年03月09日(火)

Kさんという方から、インドネシアのサッカーの資料を頂きました。

The Politics of Indonesian Football. Archipel 59 pp171-200.
Colombijn,Freek.2000.

てなモノでして、戦前から現在までのインドネシアサッカー事情が
書かれた、とても激レアかつグレートな資料であります。

かなり面白いので、おいおい全部訳してみたいとこですが、
とりあえず気になったところから。



第2次世界大戦中、ジャパニース・アーミーがアジア各地を占領
したのでありますが、それに伴い、これまでは韓国と台湾に、
日本蹴球協会の支部があったのは、以前伝えたとおりであります。

しかしながら、もちろん日本はシンガポールやマレーシア、それに
インドネシアにも進出しておったわけであります。


当時蘭印と言われていたインドネシアでありますが、そのときはどーなって
たかと申しますと・・・

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 日本の占領時代、PSSIとNIVUは共に解散された。

 日本側は、"Tai Iku Kai"を組織した。この組織は一般的に
 スポーツの組織であり、そのスポーツとは主に武道と軍隊養成
 の影が強いものであった。

 しかし"Tai Iku Kai"も、「都市間サッカー試合」の慣行を
 守っていたのである

:The Politics of Indonesian Football. Archipel 59 pp184
:Colombijn,Freek.2000.


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"Tai Iku Kai"と書くと、なにやら香港のクラブチームみたいですが、
おそらく”体育会”。大日本体育会のことか?

つーわけで、"日本サッカー協会蘭印支部"とか、そういう
ロマンは微塵もなかった模様であります。ちょっとガッカリ。



PSSIはご存知、”全インドネシアサッカー協会”の頭文字。

NIVUってのはなにかと申しますと、これはオランダ語の、
”蘭印サッカー協会”の略であります。

先にNIVUが設立されたわけでありますが、名前のとおり、若干
オランダの植民地的な影響が強い団体であったわけです。

「都市間試合」というのは、この頃すでにメジャーだったそうで、
結構人気があったそうです。うーむ、さすがだ。



ここで重要なのは、PSSIの単語の中に”インドネシア”という
言葉が使われていることであります。


PSSI設立当時(1930年代)、インドネシアという国家は
なかったわけで、「僕らは、インドネシア人で、そのサッカーの
団体なんだ」ってことを強くアピールした、とても民族意識の高い
団体だったわけであります。


PSSIとNIVUは、そんなこともあって結構反目しあって
いたそうであります。そりゃそーだな。



NIVU以前のインドネシアのサッカーのお話も結構面白いの
ありますが、その辺のお話はまたいずれ。


にしても、PSSIは昔、相当希望に燃えた若人たちのシンボル
だったわけであるのだな…。

うーむ、ちょっと涙がキラリ☆である。



てなわけで、インドネシアの民族意識がサッカーに繋がるとは、
驚きであった今回の資料でありました。


資料を送っていただいたKさん、ものすごく感謝しております。
はい。


...



 

 

 

 

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