日本サッカー協会・台湾支部 - 台湾 - 2003年12月15日(月) うーむ、シンガポールで得た資料が、やたらクソ面白い。。。 シンガポールサッカーの歴史とか、マレーシアカップの 歴史とか、イングランドでの南アジア系選手情報とか、 相当萌え(ちなみに最後の資料のタイトルは 「Asian Can't Play Football」)。 そんな中でも、いちばん興味を引いたのが、アセアン・チャイニーズ の選手達(シンガポールは特に)と、日本人が祖母のシンガポールの ヒーロー、Mohammed Nohとか、東アジア−東南アジアのサッカー 関係である。 ま、このへんもアップしたいし、マレーシア五輪代表と マレーシアサッカーについてもまとめたいところですが、 来るシンガポール戦に向け、随時資料を溜め込んでいる ところであります。 (その前にタイガーカップ2002とシンガポール訪問記を まとめたいところっす) 今回は、日本の資料で、かつ東アジアのネタですが、中々 興味深いネタがあったのでとりあえずご紹介。 ------- ■JFA地方支部・地方協会 ●台湾 1935年(昭和10年)の時点で、この地域のチームを JFAに加盟させるため、本格的な手続きを取ることは組織力 微弱で間に合わないため、単に一括JFAの台湾支部としての 連携を取り付け、鉄(くろがね)蹴球団が明治神宮大会に参加した。 (…以下略…) [日本サッカーのあゆみ 50年史:日本蹴球協会編より抜粋] ------- ちなみに1938年では、台湾支部は台湾協会になっております。 あと、明治神宮(体育)大会つーのは、今の”国民体育大会”の前身で、 主催は内務省、という今の日本じゃ決して観ることが出来ない大会 であります。 明治神宮大会は、「天皇陛下に奉納する総合スポーツ大会」とのことで、 ゆえに内務省かあ、と合点が行くわけです。 ”日本国民として、陛下に素晴らしいスポーツを見せるのじゃー!大会” という感じでしょうか。 このへん、当時日本の植民地だった朝鮮の京城蹴球団の活躍、とか、 五輪でも台湾人選手が国籍は日本人となって、、、という話もあった わけで、サッカーでも同じことがあっても当然なのはわかるのだが、 全然イメージできなかった。 んでも、鉄蹴球団、選手はみんな実質台湾の人だったのだろうか。 満州国代表は、日本人ぽい名前の選手も結構いたのだが。 創氏改名とかあのへんがあるから、正確なことは判らないけど。 50年代後半から60年代前半、台湾は結構強豪で、ローマ五輪 (’60)に出場をはじめ、アジア大会とかムルデカ大会じゃ 優勝してるし、(香港人選手を連れてきたりしてたらしいが) はたまた中国本土との問題でオセアニアサッカー連盟に所属させ られたり、と激動なサッカーの歴史の国である。うーむ。 一度、ゆっくり話が聞きたいものよ。 とくに、シンガポールで得た情報だと、戦前のアセアンは相当 チャイニーズ・プレイヤーの影響はあったみたいだし、やはり 東南アジアのサッカーを調べる上でも、香港・台湾あたりは チェックするべきかも知れぬ(出来んけど)。 ・・・そういえば、話は変わるが、渡辺満里奈の台湾熱は 冷めたのか? - - - - - - - - - - - - - - - - - - その他今回の日記の参考書籍・ウェブ: ・東アジアサッカー選手権2003決勝大会公式ガイドブック 講談社 ・明治神宮外苑ホームページ>明治神宮外苑の歴史 http://www.meijijingugaien.jp/gaien/g15_2/g15_2.html ・2002World.com>日本サッカーの歴史 http://www.2002world.com/index.html ...
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