意欲に燃えたサッカー伝来 - 2000年11月23日(木) ワールド・サッカーマガジンの広告に、 ”欧州〜アジアまで”とか書いてあったので、 本屋に探しに行った。で、一応あったんで 読んだけど・・・・。 2ページだけじゃん! (しかも、中東がメインで東南アジアはナシ。) マッタクぶつぶつ・・・と思ってたら、文庫本で 「サッカーの世紀」(著:後藤健生/文藝春秋)に、 ”アメリカ人がサッカーを嫌う理由” てのがアリ。 AFFのレポートに、”フィリピンのサッカーは、 アメリカに統治が移っちゃったから廃れた”みたいな こと書いてあったけど、良く考えりゃ、アメリカが サッカー好きだったらよかったんだよな。 つーわけで、現在調査中のフィリピンの参考に、と購入。 で、読んでったら、なんとフィリピン・サッカー情報が! ------- 英国で生まれたサッカーは、軍人・船員・植民者に よって、英国との交流がさかんな世界各国の貿易港に 移植された。 世界のサッカーどころには、貿易港が多いが、これ も決して偶然ではない。イタリア-ジェノバ、スペイン -バルセロナ、ブラジルの港町-リオ・・・。 アジアの植民地にも、同じように伝播したであろう。 地中海-エジプト-紅海-アデン(イエメン)の様なルート から、インド洋-インドへ・・・。そして、ボンベイ- カルカッタ-マラッカ海峡-シンガポールへ。さらに、 香港-広州-上海、長崎-横浜・・・。 英国は、各国で貿易だけでなく、投資や生産業を行った。 よって、これらの港町は、それぞれの地域におけるフット ボールの中心地となり、その影響は現在にも色濃く残っている。 たとえば、インドのカルカッタ。ここは、インド有数の 最強チームを持つ。そして中国でサッカーが盛んで実力の ある都市は、広東、上海、香港など。 英国の影響が強かった都市である。 19世末に米国領になったフィリピンは、バスケ人気が強く、 サッカーはいまいち(1994年にセミプロリーグがスタート) だが、20世紀初頭は、香港と並ぶアジア最強国だった。 この国のサッカーは、香港の英国系学校へ勉強に行き、 本国に帰国した留学生によって伝えられたものだったのだ。 <参考:第4章-サッカーに触発された独立運動より> ----- そーか。フィリピンのサッカーの元は、香港経由だったのか。 イギリスから香港・・・そしてフィリピンへ・・・。 ああ、頭の中でヘンテコな帆船の画面と、 セリーヌ・ディオンのタイタニックのテーマが・・・。 (多分、これが大陸経由だったら、喜多朗のBGM。) ロマンチックだのう。 意欲に燃えたサッカー伝来(1492年サッカー伝わる)、 みたいな世界史っぽいイメージもするけど。 でも、20世紀初頭に香港留学するフィリピン人って 相当な金持ちクサイな。 貧乏な下町ッ子・ゴンザレス君が、地上げに苦しむ両親を 助ける為、サッカーの試合をすることに・・・。 しかし、相手は香港でエリート留学をしてきた外交官の 息子達のチームであった・・・。 ってあったハズに違いない。妄想だけど。 あ、日本でもそういや、清水って港町だしな。横浜も。 鹿島もそんな気がするぞ。でも、そんなこと言ってたら、 神戸も港町だけど、なんか今期負け多いぞ。 *今日の東南アジアサッカーの真実 ・20世紀初頭、アジア最強は香港とフィリピン。 ・フィリピンへは香港からサッカー伝来。 ・フィリピンではバスケ人気。サッカー人気はイマイチ。 ・フィリピンにセミプロリーグあり。 ...
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