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■ やさしいということ
配属されて1ヶ月。 少しずつ図式が見えてくる頃だ。
職場の先輩のひとりが、気にしないようにしていても気になってしまう。 もう1人の自分がそこにいるようで。 苛立つ。 かなしくなる。 どうしてそんな風にしかいられないんだろうと思う。
たいしたことじゃない。 いじめとか、セクハラとか、そんな深刻なものでもない。 その人は、確かに頼りにされているし、慕われてもいるのだから。 本人がその状況を嫌がっていないのなら、まわりがとやかく言うことでもない。 だからこれは、完全な八つ当たり。 自分が数年後そんなふうになっていそうだから、 あるいは自分がもっと閉じていたらそうなっていただろうから、 なんとなく嫌なのだと思う。
彼女は、知識は誰よりもあるのに、 社歴も長いのに(といってもせいぜい片手でおさまる年数だけれども) リーダーにはならない。 ならなければいけないのに、なれないことを周りも知っている。 どんなに周りが彼女を変えようとしても、 彼女は自分を変えられないまま。
誰かに指示するくらいなら、その仕事を自分でやってしまう。 何も言わない。 求めない。 ただ黙々と、夜遅くまで残業するだけ。 新人の私が鬱陶しく質問しても、優しく答えてくれる。 あまりにも穏やかで、空恐ろしくなるほど。 慣れてくると、何一つ愚痴を言わない、抵抗しない彼女の表情から、 「はい、はい」と頷く優しい口調から、 ほんの少し、嫌がっているときの表情が読み取れるようになる。 それでも笑顔は消えない。 どんなに責められても、 仕事が大変だったら私たちにも分けて、と乞うても、 彼女はただ笑顔で、はいと頷く。
彼女は自分からはほとんどしゃべらない。 穏やかで、いつも微笑んでいる。 明らかに代理店が悪いときでも、自分が悪いといつも謝っている。 だから評判はいい。 でも同僚の事務社員たちは、もどかしがる。 食が細くて、特に仕事の合間である昼間は、ほとんど咽喉を通らないようで。 私のようにストレスが大食いに転じるのも問題だけれども、 食べるのにも疲れるほど、なにも欲を表現しないで溜め込んでいる彼女に、 私も、もどかしくなる。
営業の中で、とりわけ仕事のできる人がいる。 いかにも営業向きの、ノリのいい、口のうまい、良くも悪くもムードメーカーな男性だ。 彼は、社歴が長く複雑な仕事も多く抱えている彼女に、ただの大量コピーを頼んだりする。 自分でやればいいだろう、ごく普通の調べ物など なんでも、面倒な仕事は彼女へ。 確かに営業事務は、サポートだが、メイドではない。 ちなみに彼は、私たち事務の人間を「女の子」と呼ぶ。 支社長だって、根本はそんなものだ。 どんなに優しかろうと、善意に満ちていようと、男なのだな、と思う。 女は弱きもの、そんなところか。 そう思われないための唯一の方法は、同じように総合職でバリバリ働くより他ないのだろうと思う。
一度私に突如大量コピーを頼んできて、私はもちろん断らなかったけれども、そのことを知ったある先輩がそれにやんわり抗議したら、「ごめんね」と言いながら、100円玉を渡そうとした。 声がつんけんしないように気をつけながら 「仕事ですから当然のことです」と笑顔で断った。 ちなみに、そのコピーは件の先輩に振ろうとしたもので、 それを新人の私が見かねて受けたのだった。 派遣であっても、気の強い女性たちには、彼はけっして頼もうとはしない。 自分でも、理不尽な頼みだとわかっているから。 人を選んでいる。 それがわかるから、むっとくる。 私はいい、実際やれる仕事なんて限られているから、 コピー取りでもなんでもかまわない。 だけれども、彼女は、彼女には、暇なんてなくて、 指名で電話がばんばんかかってきて、その合間にも彼女しかできない難しい仕事が山積みで、そんなこと見ていれば解るはずで。 それなのに、彼女が拒めないことにつけこんで、なんでも頼めると思っているのが腹だたしくて、思わず強引に割り込んでしまったのだった。
社交で、誰かが代表して食事会に出なくてはならないことがあった。 本当なら彼女が出なくてはならないはずなのだが、代わりに派遣のひとが参加せざるをえなかった。 人前がダメ。 人の上に立つのがダメ。 社交がダメ。 交渉ごとがダメ。 どこまで私にだぶるんだろうと思いながら、 何年経とうが、仕事にどれだけ慣れようが、 ダメなものはダメなのかもしれないと絶望的な気分になる。 社会人になれば慣れる、変われると思っていた部分が、 変わらないまま生きつづけているひとがいて。 反面教師で、単に自分がそうならなければいいだけなのに、 ずるずると、自分も変われないままで行きそうな気がしてくる。
ふと、私の周りのひとたちも、苛苛しつづけていたな、と思い返す。 もっと自分の場所を主張しろ、自信を持て、と言っていた。 こんな気分だったのかなと思う。 ぶつかっていけなくて、進めなくなってしまった人ごみで、しかたがないなあ、と手を引いてくれたようなひとはもういない。
ある程度言いたいことを言う性格を取り戻しつつあったけれども、 それでもやっぱり、言えない部分は多くて、溜め込んでいる。 「うちの女の子」と言われながら、ピキピキしている自分は見せられない。 今年の女子のなかで一番誰がかわいい?とか、平気で言うような男性に、それでも嫌われたくはないとごますりしている自分に、嫌気が差す。 上手くやっていくために、仕方のないことだと思いながら、 そのうち、嫌悪感を隠せなくなりそうな自分を想像してしまう。
営業の彼はちっとも悪い人ではなくて、むしろとてもよい人で、 件の彼女だって、自分がその状態でよいのなら、私が何も苛立つ必要はなくて。 そんなにも優しいから、こんな私にだって優しく指導してくれるわけで、 だから私は私で、私なりの気の強さで、居心地が悪くない程度にやっていけばいいはずなのだ。 自分の勝手な理想を押し付けるほうがどうかしているのに。 それでもなんだか、むずむずする。
いらいらしながら、何度も彼女を変えようとしてきた人がもうすぐ辞める。 言いたいことは言わなくちゃダメだと、その人は教えてくれた。 彼女のようになってはだめだと、はっきりと口に出してまで。 仕事ができる、信頼されている、慕われている、それでもダメだ、と。
確かに私は営業の補助に過ぎなくて、単なる事務屋で、新米のコールセンターのバイトのようで、とても無力だ。 だから今は、どんな仕事だってするけれど。 魂まで売ってたまるものか、と思う。 内側にじわじわと他人の毒まで蓄積してゆくような、そんな風にはなりたくない。
日記だけは自分のために一週間に一度は書いておこうと思っているのだけれど、そのほかのあらゆる連絡手段(掲示板含む)が滞っています。 体調のよいときに、忘れた頃に、ひょっこりあらわれたら、 変わらず接してくださるとうれしいです。
2002年06月02日(日)
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