unsteady diary
riko



 シンクロ


突然だけど、私は死刑廃止論賛成派。
「目には目を、歯には歯を」というのは嫌いじゃないけれど、
死には死を、とは思えない。
生きているほうがもっと残酷だと思うから。
まあ、本人にプライドやら良心やらがあれば、だろうけれど。


新潟の女性監禁事件、判決が出たそうで。
私は法律に無知なので(憲法レベルしか勉強してない)
その数字がどんなふうに導き出されたのかわからないけれど、
14年ってどんな長さなのかな。
9年はただの9年じゃない。
数字で割り切れない部分を、どうあってもなんらかの形で割り切っていかないといけないのが社会なんだなと思う。
法律を知ることは自分のみを守る上で大切だと思うけれども、
面白いというより反発を感じてしまうのは、たぶんそのあたりが原因。


つくづく感情で生きているんだよな、私は。
中学の弁論大会で、私ともう1人の代表の男の子の弁論を対比して、
「感情のrikoさん、理性の○○くん」って言った先生がいたな。
ちなみにもうひとりの彼は、終始学年トップ、来年は東大大学院生。(笑)
面白かったのは、「あなたの根源に流れているのは性善説ね」と指摘されたこと。
皆が同じように痛みを感じると思ってしまうこの性格は、たまには役立つけれど、障害になるほうが多い。
もう少し鈍感でもいいと思うくらいには。


新潟事件の判決は、ニュース+1(日テレの)で知った。
最近は木村優子アナがスタジオでメインキャスターをしていたけれど、
この件に関しては、彼女が現場から報告をしていた。
同じ女として、自分の身にも起きたかもしれない暴力と奪われたかもしれない時間の重さについて語る。
そういう意図だったのだと思う。


あの事件が明らかになってから、
下世話な想像はすまい、と思っていても、
自分がその身だったら…と考えてしまうんだよね。
気が狂う、と言ってしまえば簡単だけど、
ただ誘拐された恐怖とか、殺されるかもしれない恐怖とか、
そういうふうに想像できる瞬間ではなくて。
多感な時期を、例えば生理が始まるようなそんな時期さえ、
なにひとつ自分を守ることさえできずに、
男の視線と暴力にさらされ続けたということ、考えるだけで、痛くなる。
絶望とかそういう言葉で括られないものなんだろう。
そのなかでよく死なずに狂わずに生き抜いたなあ、と正直思う。
なんかコトバがすごく下世話でヤな感じだけど。
実感としてはそんな感じ。
「辱めを受けるくらいなら舌をかんで…」みたいなことにならなかったのが、なによりの強さ。
だからさ、死刑が嫌なのはね、たぶん死ぬほうが楽だからなんだってば。


卒論でレイプについても書いたのだけど、
フェミニズムの代表的な研究者のひとり江原由美子によれば、
性行為への意志を自立的に持つことができるのは男性であり、女性の意志は、男性への「同意・不同意」としてのみ存在してきたのだという。したがって、女性の性行為への意志は言語的に表明されなくても、抵抗しないことによって同意したとみなされてしまう論理が成立する。
ま、要するに、「男のひいたハンカチの上に座ったらもう和姦だよ」みたいな話ね。逃げなかった、抵抗しなかった、だから同意したんだって論理。


被害者の女性は、逃げる気力を奪われたと言っているそう。
当たり前だよね。
逃げるということは、強い意志が必要。
自分を守るためにも、強い自己愛が必要。
それをもつことが出来るのは、生きるということに主体的でいられる人間だけ。
たとえ鍵がかかっていなかったとしても、プライドとか意思とかそういう普通の人間としての尊厳を持って生きられる状況ではないのだから、どうやって逃げられるだろう。



彼女は、時間の止まった瞬間からただ過ぎた9年間を、
これから再構成してゆくんだろう。
普通に育っていれば感じただろう様々な感情を、
自分の身に起きたさまざまなことに対して、
思い出して、それから感じ直すんだろうと思う。
今の自分が、そのときの自分を見つめて、癒す作業。


願わずにはいられないの。
それが自分を責める作業にならないことを。
自己嫌悪とか恥とか罪悪感とか、そういうものに囚われなければいいな、と。
それとも、そんなふうに自分を責めたり恥じたりするベクトルを持ってしまうのは、私くらいなものなのかしらん。


久しぶりの日記は、やっぱりいつもの通りまとまりがないなー。

2002年01月23日(水)
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