ビー玉日記
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2006年02月18日(土)  キリギリスの反省

この日記でもたびたび登場しているが、
隣席のおじさんは今月定年退職である。
私も2回職場を変わっているので、
退職前に目の前の仕事にやる気が出ないのはわかる。
はっきり言ってどうでもいいのだ。
もう気持ちは次の生活に向かっているのだから。
今月に入って、彼は着々と退職の準備を整えている様子だ。

退職の準備は ぬかりなーい

いつも彼の電話の声が聞こえてくると「決戦の金曜日」の替え歌が頭の中を巡る。
自分で用意してくれる分にはこっちは楽だから、どうぞ存分にやってください、とは思っているけど。

それにしたって、勤務時間中に、大声で、
「妻が年金をもらいはじめたら私の分はその分減るんですかね?
そもそも私は年金いくらもらえるんでしょうかね?」
と人事部に問い合わせるのはひどい。
人事の人も年金の金額なんか知ったことじゃないと見える。
「社会保険庁に聞かなきゃわからないですか、そうですか」
そして電話を切った後、速やかに上司に「明日、有休いただきます」とメールを送る。
わかりやすい。
明日は社会保険庁に行くのか……。
あまりにも生々しい話である。

同じ部署にもう一人定年退職の方がおり、
その人は特に何もしていないので、逆にこっちが不安になって、
「大丈夫ですか。何かお手伝いできることがあったら言ってください」
と思わず声をかけてしまう。
「おれはないけど、なんか参るよなあ!」
こちらは苦笑するだけである。
対称的だ。

つい最近まで、こんな風にお金の話ばっかりしたくないなあ、と思ってたけど、このところ見方が変わってきた。
私はお金の話をおおっぴらに話すのが苦手で、計算が不得意なこともあって何事もどんぶり勘定。どっちかというと節約家というより浪費家だ。
それは、幸いにして両親が健在で自分の稼ぎを好きにできて、お金のことで本当に困った経験がないからそんなことが言えるんだろう、と思う。
たぶん自分自身が一家を背負ってどうにかしなきゃいけない、という人や、過去にとても苦労した経験のある人は、常に先のことを予測して日々節約に励み、損得をきっちり考えるものなのだろう。
私みたいに「いざとなればどうとでもなる」なんて考えはありえないのだろう。
実際、本当にどうにもならないこともあるはずだ。

ちょっとは見習わなきゃなあ……。
私もそろそろキリギリス生活を卒業してアリを目指さなくては。
賢く世の中を生きていくには、私はまだまだ甘い。


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