ビー玉日記
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2005年07月23日(土)  高校野球

祖父の家に向かう途中、乗換えの駅のホームで同じく祖父の家に向かう叔母にばったり遭遇。
遭遇するとは思わなかった(車で移動していると思っていた)のでびっくりだった。

祖父の家に着いた時、ちょうど甲子園の地区予選の準決勝をやっているところだった。
叔父の母校(佐賀西高校)が準決勝まで残っているということで、
いろいろ話をしながらもTVの試合の状況をちらちら見はじめた。
叔父は現在長崎県に単身赴任しており、当然長崎では長崎の地区予選を放映しているため、佐賀の予選の状況をいつも叔母に聞いてくるらしい。
TVを付けた時点で既に相手に1点が入っている状況だった。
対戦相手の佐賀商業は何度も甲子園に行っている学校で、強いのだそうだ。
叔母は最初から佐賀西が勝てるとは思っていないらしい。
携帯で土曜出勤の叔父に電話をして1点負けていると報告する。
(ちょっとかわいそうだ……)
「今年は(よいメンバーが)揃っとっとって。勝つって決めとらす」
電話を切って、叔母は肩をすくめた。

その後、佐賀西は積極的に出塁して、7回についに同点に追いついた。
更に追加点。
叔父の言うのもまんざらではなく、確かによい選手が揃っているようだった。
その頃には私も祖父も佐賀西に入れ込んで応援していた。
「おばさーん、逆転したよー」
台所に立っていた叔母に声をかけると、「え、そうね?」とあわてて戻って来てテレビの前に座った。
ところが。
「ここでニュースをお伝えします」
画面が切り替わって、スタジオの生真面目なアナウンサーのスーツ姿が映し出された。
「ああー。いいところだったのに」
「教育でやっとらんね?」
教育テレビにチャンネルを切り替えたが、予選くらいでは甲子園と違ってそんな気の利いたことはしないらしい。
「叔父さんに報告しなくていいんですか?」
「この間にまた逆転されるかもしれんけん」

10分後。再び球場の映像が映し出された時には9回の表で佐賀商業が1点追加したところだった。
「あー。暑そう。暑いのに頑張るなあー」
見ているだけでだらだら汗が流れそうなかんかん照りの球場。
時折アップになるピッチャーの顔もなんとなくバテてきているように見える。
「こん人、ピンチなのにえらい笑っとるね? ピッチャーやろか」
「監督さんだよ」
「あら。随分若かね」
確かに徹頭徹尾さわやか笑顔を崩さない若い監督さんだった。
ある意味、9回も近いこんな場面で笑ってると、最初からあきらめてるのか、何か秘策でもあるのか、と変に勘ぐりたくなる。
「……ああーっ」
更に追加点。ついに同点になってしまった。
9回の裏はあっという間に終わって、延長決定。

「そろそろ(昼食を食べに)行こうか」
祖父が時計を見てそわそわしはじめる。
お昼は近くのうどん屋に行くと決まっていたのだが、この状況では動くに動けない。
「あと少しで終わるから。混んでる時間だし」
「きっと今、お店でもテレビ見てみんな動けないでいるよ」
叔母と私は最後まで見届けるつもりで真剣に画面を見つめた。
そこで。
再び画面が切り替わり、連続ドラマのイントロが流れ出した。
「はあっ?」
「こんな時にもドラマやると?」
NHKに苦情の電話でも入れてやりたい気分だ。
こんなにいい場面で二度も中断するとは何事だ。

字幕によれば、ラジオで放送を続けるらしい。
祖父がおもむろに立ち上がり、携帯ラジオを棚から取り出した。
「じいちゃん、それどうしたと?」
「ばあちゃんが病院で使っとったやろ」
祖父のラジオを操るのがやたら遅く感じられる。
チューニングが合わないのを、叔母がひったくってチャンネルを探す。
「……ピッチャー振りかぶって、投げた。低めの変化球。ワンアウトツーストライク」
テレビを消して三人でじっと耳を澄ます。
こんなに真剣にラジオを聴くのは久しぶりだ。
テレビでは言わないこともアナウンサーは逐一わかるように細かく説明する。
当たり前といえば当たり前だけど、ちょっとした発見のようにも思えた。

結果は、延長12回で佐賀商業が1点を入れて、残念ながら佐賀西は負けてしまった。
久々に真剣に高校野球を見てしまった。
そういえば祖母の初盆の時も、来客を待つ間、みんなで高校野球を見てたなあ。
その時は佐賀代表の鳥栖商業が勝ち上がっていて、ついみんなで入れ込んで見てしまったのだった。

私の出身高校が全国高校野球に登場することはないので(断定)、いつもは気にしない世界なんだけど、こうして何かの機会に見はじめるとついのめり込んでしまう。
おもしろいものだ。

先日、大学時代の後輩が「甲子園の開会式を見ると(それまでの苦労を思って)泣けてきてしまう」と言っていた。
そこまでくるとほとんど「お母さん」の領域なので、私にはまだない感覚だけど、自分に中学や高校くらいの息子がいたら、そんな風に見てしまうのかな。
学生の頃、自分の育てた後輩が本番で演奏する時はいつもこっちの方が緊張したものだった。
練習で苦労したところをうまく乗り切った時には、自分の出番が終わったわけでもないのにほっとした。
あの時は自分でも「お母さんみたいだな」と思っていたけど、さすがに何の関わりも無い甲子園球児にまで同じ思いを持つ境地にはまだ至らない。


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