| ビー玉日記 | きのう もくじ あした |
2004年11月02日(火) これが私の生きる道 カレンダーをめくれば、残りあと1枚。 「忘年会早めにやろう。連絡待つ」 と元・隣の部長が訪れて大声で騒いでいた。 今年ももうあとわずか。 2004年、ってどんな年だったんだろう。 とりたてて心に刻むべき出来事もないまま、また1年が過ぎようとしている。 外の世界では、戦争とか、地震とか、殺人とか、大きなこともあったけれど、個人的には何もないな。 それはそれで幸福なことか。 上司と面談をして、上期のレビューと目標の確認をした。 やっぱり聞かれた。 「やりたいこと、なりたいものがあるなら言って」 ありがたいこと。ありがたくも、考えたくないこと。 そしておそらく本当は考えておかなくてはいけないこと。 進路指導は、昔から苦手だ。 もうすぐ30になろうという人間にも、進路はあるのだ。 ああ、何も考えずぼんやりと生きていたいなあ、なんていうのはただの怠惰なんだろうな。 中学の時は、教師の道を提案した担任に「教師だけはイヤです」と断言。 (母が教師だから、裏側を知りすぎていた) 受験勉強も好きな科目だけやって、結果的に運よくひっかかったところに決まった。 高校の時は、受験する大学と学科さえ決めていればよかった。 それも受験日の都合と自分のレベルとあいまいな好みで選んだだけ。 キャンパスを下見することすらなく、実際に行くことになってからあまりにも遠い田舎だとわかって驚いたくらいだ。 就職活動は、気合を入れたのは最初の数ヶ月だけで、惨敗続きで疲れたところで拾われた小企業に決めてしまった。 (早く決めて、卒論に早く手をつけて、残りの学生生活を遊んで暮らしたかった) 入ってみたら所属していたサークルより規模の小さな組織で、ボーナスももらえればラッキー程度で、給料につりあわない労働時間にくたびれて退職金のためにきっかり3年半働いて辞めた。 こうやって書いてみたら改めて気付くけど、なんつー適当な生き方。 何もないな。 感謝すべきは、こんな私に投資してくれた両親だ。 今となっては高校にも大学にも(選択にあたっては口を挟むこともなく)行かせてもらったのに申し訳ないくらいひどい娘である。 親としては「ああなってほしい」「こうなってほしい」「これをするからにはきっとこうなるだろう」とそれなりに期待をしていたと思うのだが。 自分で自分を誉めてやってもいいかなと思うのは、これだけ流されるように生きていても、目の前にあった仕事だけは一生懸命できるだけのことをやってきたことだ。 でも、それだけ。 それは何かの糧にはなるだろうけど、生きる道を決めるような決定的なものではない。 ある本では、人間の転機は35歳頃訪れる、とあった。 あと約5年の間に、決定的な何かをつかむことができるんだろうか。 ……うーん。まあ少しは、努力します。 |
| mail home bbs |
|
Design by shie*DeliEro |