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2004年06月25日(金) ウエハースの椅子 江國香織さんの「ウエハースの椅子」、読了。 久々にこの独特のまったり感を味わった。 味わった、というととても楽しんだように聞こえるかもしれないが、実はそれほど楽しいことじゃなかった。 物語に入り込んで真剣に読みながら、イライラしていた。 苛立ちながらも、最後まで読み続けた。 物語はゆったりと進行する。 進行、という言葉すら適切ではないくらい、遅々とした流れ。 主人公の淡々とした語りが、一貫して変わらない。 山とかムラというものがまったくない。 まるで何も見るものもない平野の中の一本道を、同じテンポで歩いているような感じ。 半ばまで読んだ時、今はこの本を読む気分ではなかったかもしれない、選択を間違ったかもしれない、と思った。 だけど、別の本を手に取る気分にはなれなかった。 最後まで読み終えなくてはいけない気がした。 そして読み終わった今、苛立ちの理由をはっきりと自覚した。 主人公は自分とそっくり同じなのだ。 自分と同じものに対して、私はひどく拒絶を示すことがある。 特に自分の嫌いな部分が一致することに対して。 今この本を選んだことは間違いではなかった。 たぶんいつか自分が犯すかもしれない過ちを、この本の主人公を通して体験できた。 だから自分にはこういうことは起こらない。 もう充分感じとれたから。 この本を最初から最後まで自分の意志で読み終えて、しかもこの物語の主人公と同調してしまう人、というのは一体どれくらいいるのだろう。 Web上で他の人たちの感想を見ると、「きれい」とか「せつない」という言葉が多いけれど、それ以上の何かを感じてしまうのはもしかしたら健全ではないのかもしれない。 でも、ちゃんと私はこの物語の最後が絶望的じゃないことも感じとれた。 パンドラの箱に希望が残ったように。 私が江國香織という作家の紡ぐ言葉に惹かれるのは、自分と同じ何かを感じてしまうからだと気付いた。 見なくても生きていけるものをあえて覗いてしまった一人として。 |
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