ビー玉日記
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2003年06月13日(金)  雨上がりの月を眺めて

もっとマイペースにならないとなあ、といつものごとく反省しながら、会社を出た。
先月までの残業時間から、人事(その元をたどればおそらく派遣会社)から上司に労働時間について注意勧告があったらしい。(メールで送信された程度だけど)
今月は残業35時間を超えないようにしなくちゃと思ってるんだけど、相変わらずの要領の悪さで、今夜も遅くなってしまった。
時間をかけただけの仕事をこなしたかと言えばそうでもないし、なんでだ?
とちょっとブルーな気分で駅に向かってだらだら歩きながら、電話をかけた。


叔母(母の妹)に若い頃の着物を譲ってもらった。
雨ゴート、と聞いていたのでそのつもりでいたら、道行と紬の着物、お祝い(名取の試験に受かったため)も入っていた。

そのお礼の電話。
雨上がりの月を見上げつつ。

「すっかり遅くなっちゃったんですけど、着物、ありがとうございました」
「こっちこそ、着ないからって押し付けたみたくなっちゃって、ごめんねぇ」
「とんでもないですー。助かります。前にいただいた菊の着物もすごくかわいいし、好評なんですよ」
「着てくれる方が助かるのよ。どうせ箪笥に入れたままになってるしね、昔のものだからそれなりにものがよくって捨てるわけにもいかないし」

「好きなものでお金稼げるようになるといいわねえ。
お勤めも悪くないけど、やっぱりそれだけだしね……」

「こないだは遠いところわざわざ来ていただいてありがとうございました」
(祖母のお葬式のこと。叔母さんも仕事が忙しくて大変なのに駆けつけて来てくれた)
「るう子ちゃんも大変だったでしょう。
一番最初の孫だし、おばあちゃん、るう子ちゃんのことかわいがってたものね」
「明日また四十九日で向こうに行くんですよ」
「四十九日ってね、七日毎にお経をあげて、その締めくくりに、亡くなった人がちゃんと天国に行けるように押し上げてあげるのよ。
だからちゃんとお祈りして来てね」
「はい」

「おやすみなさい」、と言って電話を切りながら、なんだか泣きそうになった。

叔母のような人が身近にいて、私は幸せだなあ、と思う。
母と叔母は子供同士が年が近いことや家もそう遠くはないので、昔から頻繁に行き来しているし、お互いに悩みごとの相談相手だったりしている。
私もイトコとは兄弟のような関係だし、親戚の中では叔母が最も自分に近い存在だ。
第2の母親と言ってもいいかもしれない。
母がものすごくせっかちなのと対照的に叔母はのんびりしていて、そこが好きだ。

話し方の調子から言っても、叔母もこのところ疲れてるんだろうなと感じた。
たぶん電話を切る時、お互いに涙ぐみそうになってたんじゃないかな。
イトコにも最近いろいろあったから。
電話の不思議なところは、声からその人の感情とか体調とかいろんなことが伝わることだ。
眼で見ない分、声が心に届きやすいのかもしれない。

このところ仕事でうまくいかないことが重なったり、山ほどある仕事がまったく減らなくて気分が重いこととか、たぶんサイクル的に情緒不安定な時期なこともあるんだけど、駅の改札を通る頃、本当に泣き出しそうになった。


まあ、そんな日もある。

涙が出そうになった時、泣いてもいいかな、と思った。
たくさんの人がいるところで、そんな覚悟ができた自分も好きだ。
昔は絶対人前で泣いたりできなかったから。
たぶん、いい意味で力が抜けて、自然な自分でいられるようになったということだろう。

おばあちゃんの四十九日、ただ行くだけじゃなくて、本当に念仏唱えてこよう。


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