時々日記
DiaryINDEXpastwill


2003年09月26日(金) 2003年十勝沖地震発生

2歳の時・13歳の時・そして今年。
11年間隔で大きな地震を体験している(2歳の時は覚えてないけど)。
でも、その中でも今回のは最悪だった。
ウチは4階建てのマンションの4階という事で
かなりの勢いで振られてしまったのです。



あたしは、自分の部屋で寝ていました。
起きると結構揺れていて、やばいなと思って体を起したら
更に揺れてきて、あたしは自分の身に危険を感じたので
押し入れに避難しました。

押し入れの戸に、必死につかまって、自分の部屋のタンス
本棚・鏡台が倒れる瞬間・パソコン本体が飛んで行く瞬間
勝手に窓が開いたり閉じたりするを目の当たりにし
部屋の隣りの台所に置いてある食器棚2個が倒れる音
食器が割れて弾ける音・他の部屋のタンスが倒れる音
地響き・下の階の子供の悲鳴などを聞きました。


地震がおさまってから、一緒に住む父の声が聞こえない事に気付き
倒れたタンスなどの間を慌ててすり抜けて
部屋の戸をおもいっきり引いて、震えた半泣きの大声で
部屋の入り口から、何度も父の名を叫びました。

あたしの部屋に入るには、台所を通らなけれればならない。
台所には、2つの食器棚があるのですが、2つとも倒れていて
人が通れるスペースが無く、食器の殆どが割れていて
あたしは部屋から出る事が出来なかったのです。

父は、3つの大きなタンスに囲まれた部屋に寝ているので
あたしは本気で、父の死を覚悟しました。
しかし父は、倒れてきたタンスに頭をぶつけたけど
特に大きな怪我も無く、大丈夫だったようで
間もなくして、父は台所の向こう側から姿を現しました。

父の安否が確認出来た時、腰が抜けました。
ヘナヘナと力が抜けていくのが分かりましたよ。


暗闇の中で、倒れている食器棚を父が起してくれて
あたしは、割れている食器の上を裸足で歩いて、父のもとへ行きました。
おかげで足の裏は切り傷だらけです。


今度は、下の階の人達の安否を確認しに
懐中電灯片手に、父と2人で手分けして回りました。
下の階には、一人暮らしをしている老人が多いのです。
全員無事でした。

近所の安否を確認した後、自分の家の中の
タンスや本棚など、倒れたものを全て起しました。
「とにかく落ち着こう」という事で、ラジオをつけて
茶の間で情報を聞くけど、落ち着けるはずはなく
あまり良く理解できなかった。

間もなくして町中を、救急車や消防車が
サイレンを鳴らしながら走っていました。


そうしているうちに、再び大きな地震が。
1度目の地震は、横揺れで、震度が6弱。
しかし、この余震も、震度が6弱でしたが、縦揺れ。
怖くて悲鳴を上げてしまいました。

さっき起したもの全てが倒れ、残っていた食器も割れました。

地震がおさまり、再び下の階の人達の安否の確認。
再び全員無事で良かったです。
その後、また自分の家の倒れた物を起すという作業。

そして、割れた食器の片付け。
1回目の地震で既に電気が通ってなく、食器の片付けは
懐中電灯で行っていた為、手にも切り傷を作ってしまいました。


あたしの家の被害↓

・長時間の停電
(金曜夕方5時半頃に復旧。
 それまでは家に付けている電話も使えませんでした。)

・2日間(金曜の朝〜日曜の朝)の断水

・冷蔵庫は何度か傾いて、その度に扉が開閉したようで
 中身の殆どが飛び出していました。

・テレビは50cm以上横に動いていました。

・沢山ある本・CDなども、部屋の中で大散乱。
 CDケースが割れてたのが沢山ありましたが
 CDの数が半端じゃないので
 いちいち中身まで確認する余裕は無かった。
 もしかしたらCDまで割れていたのもあるかも。

・ベッドが10cmくらい横に移動していた。

・パソコン本体が30cmくらい飛んで
 テーブルから落ちた。

・電気の傘が天井に何度も強くぶつかり割れた。

・食器は約7割が使えなくなりました。

・倒れたタンスや食器棚の一部が壊れていた。


この他にも色々あったけれど、とにかく、壊れたものは
集めて片付けて、移動してしまったものを元に戻しました。
それだけの作業なのに、かなりの時間を費やしたように思います。


少し落ち着いた頃、苫小牧在住の兄に、やっと電話が繋がった。
苫小牧では、何か怪しげな爆発音が聞こえて
消防車のサイレンが鳴りっぱなしだと言っていた。
兄は、仕事が終わり次第、水や食料を持って帰省する事になった。

7時半頃、職場を見に行きました。 職場も最悪の状況でした。
玄関の観葉植物が倒れ泥だらけ。 医局の冷蔵庫・ロッカーが倒れていた。
カルテ・技工物・診療器具・治療薬などの散乱。 消毒液が漏れて水浸し。
院長室の医学書の散乱も凄かったし、待合室の本やおもちゃも散乱。
午後から片付けに来ると言って、一度医院を出ました。


その後、車で10分くらいの所に住んでいる
叔母(父の姉)の家に、自転車で向かいました。
電話が繋がらないので、安否が気になって。
叔母は一人暮らしなので、凄い心配でした。

町の中は、信号機の電気が点いていない場所が
結構あって、車の人は困惑気味でした。
そして、道路の陥没・隆起・亀裂が目立ち
建物の壁が崩れていたり、街灯が倒れていたり
お店のシャッターがグニャグニャになっていたりと
悲惨な姿をさらしていました。

叔母は無事でした。
家の中の被害も少なかった。 とりあえず一安心。


家に帰ると、父は仕事に行くと行って出て行ってしまった。
家に一人でいるのは、かなり不安でした。


11時前、役場の車がアナウンスをしながら
町中をゆっくりと走っていました。
給水を11時から始めるというので、慌てて
ペットボトルの準備をして、近くの給水ポイントへ。

あたしが行ったら、既に10人くらいの人が待っていました
数分後、続々と人が集まってきた。
給水ポイントに、役場の人が居たんだけど、友人のお父さんでした。
物凄い忙しそうにしていたけれど、とても心配になって
「大丈夫でしたか?」と、聞かずにはいられなかった。

数分後、自衛隊の給水車が到着。
順番に給水をしていくのだけれど、報道陣が邪魔だった!!!
マジでキレそうになった自分が、ちょっと怖くも感じた。
水を出す所に立って、ビデオカメラで撮影していたH○Cよ。
自衛隊の真後ろに立って、デジカメで撮影していた北○道新聞よ。
あたしはあなた達の胸ぐらを掴んで
「何やってんの? アンタ今何してるか分かってんの?
 邪魔してる自覚あんの? 今どんな状況か分かってんの? 」
と言ってやりたかったけど、カメラを奪って、下に叩きつけて
壊してやりたかったけど、周りに職場の患者さんが多かったために
それを我慢したのよ。 今思い出してもムカツク。
もっと遠くでやってくれっ・・・。


給水を終え、家に帰って片付け。
とにかくひと部屋片付けたので、今度は職場へ。
とにかくカルテを戻し、掃除。  断水していたので
後は応急処置程度にしか出来ませんでした。
陽が落ち始めた頃に帰宅。


夜11時半に兄が帰省。
ポリタンク2つに水を入れたものと
2リットルペットボトル×6本のミネラルウォーターと
2リットルペットボトル×6本のお茶と
食料や電池などを持ってきてもらいました。

3人で少し話して、あたしは早々と寝る事に。
部屋の戸は開けっ放しにして、逃げ道確保。

片付けで凄い疲れているから寝れるだろうと思ってたけど
凄く怖くて、とてもじゃないけど寝れなかった。


myi |MAIL

My追加