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 灰色の輝ける贈り物/アリステア・マクラウド

『灰色の輝ける贈り物』/アリステア・マクラウド (著), Alistair MacLeod (原著), 中野 恵津子 (翻訳)
単行本: 238 p ; サイズ(cm): 19 x 13
出版社: 新潮社 ; ISBN: 4105900323 ; (2002/11)

内容(「MARC」データベースより)
カナダ、ケープ・ブレトン島。苛酷な自然の中、漁師、坑夫を生業とし、脈々と流れる「血」への思いを胸に人々は生きる。世代間の相克と絆、孤独、別れを、語りつぐ物語として静かに鮮明に描く。隠れたる短編の名手による8篇。


目次

広大な闇
灰色の輝ける贈り物
帰郷
秋に
失われた血の塩の贈り物
ランキンズ岬への道
夏の終わり


図書館で、アリステア・マクラウドの短編集を2冊借りてきた。先日書いたマクラウド本に関する疑問について、早速ことの真相を調べたところ、訳者あとがきに次のように書いてあった。

マクラウドのはじめての作品「船」が小さな雑誌にのったのは、1968年のことである。それ以来、1999年に初の長編小説が発表されるまでの31年間で、まずか2冊の短編集(1976年 『As Birds Bring Forth the Sun and Other Stories』 と1986年 『The Lost Salt Gift of Blood』 に各7篇ずつ)しか出されていない。にもかかわらず、マクラウドの作品は「モダンライブラリー 1950年以降に英語で書かれたベスト小説200」(選者はブッカー賞の審査員長を務めたこともあるカルメン・カリールとアイルランドの作家コルム・トイビン)に選ばれるほど高い評価を受け、熱烈なファンも生まれたが、なにしろめったに作品を発表しない作家の地味な短編である、一般の読者のあいだに広まらなかったのも無理はないかもしれない。

そんな知る人ぞ知るの作家だったマクラウドを一躍有名にしたのは、1999年秋に発表された長編小説 『No Great Mischief』 (邦題 『彼方なる歌に耳を澄ませよ』 )である。10年以上かかって書き上げられたこの小説は、たちまち「傑作」の折り紙がつけられてカナダのさまざまなベストセラーリストに入り、いくつもの賞を獲得した(国際IMPACダブリン文学賞、カナダ出版協会賞、ダートマス図書賞、ラドール賞、トリリアム賞など)。この長編小説の成功により、マクラウドの全短編集を望む声が高まり、その結果、2冊の短編集に収められた14篇にその後書かれた2篇を加え、2000年1月 『Island』 というタイトルで出版された。

というわけで日本では、この「既刊の短編集2冊+2篇」で構成された『Island』を、再度2冊に分けて出版したということになる。その際、「+2篇」があるから、オリジナルの短編集のタイトルを使うわけにはいかないということだったのだろうか。そのあたりは良く分からない。

とはいえ、こんなことは既にマクラウドの翻訳本を読んでいる人には周知の事実であり、私が今まで知らなかっただけ。原書で見つけようと思ったら、見つからないので疑問に思ったため、ここに書いておいたという次第。


この本の舞台はマクラウドが育った、カナダの ケープ・ブレトン島 で、「赤毛のアン」で有名なプリンス・エドワード島の東隣である。そこは、スコットランドよりもスコットランドらしいといわれている島だとか。しかし読んでいると、自然がとても厳しい土地のようだ。北方であるのはわかっているが、やはり南の島のように、のんびりと気楽には生きられない。

この本は短編集だが、その冒頭の作品「船」(The Boat 1968)を読んでいて、自分のお気楽さに唖然とした。

「ケープ・ブレトンの沖合いは、今でも豊かなロブスターの漁場で、五月から七月にかけてのこの季節、捕れたロブスターは氷の箱に詰められ、夜となく昼となく、道路を突っ走る大型トラックで、ニューグラスゴー、アマースト、セントジョン、そしてパンゴア、ポートランドを通って、ボストンへ運ばれ、ここで生きたまま、最後のわが家である煮立った鍋のなかに放り込まれる」

この文章自体は何のことはない描写だと思うが、私はボストンで、このロブスターを食べている。何の考えもなく、大喜びで。


ボストンで食べたクラムチャウダーとロブスターサンド

この文章の前後には、ケープ・ブレトンで必死に生きる漁師の姿が描かれており、最後には主人公の父親が漁の最中に海に落ちて死ぬという結末となっている。まさに、情け容赦ない自然の過酷さが描かれているのだ。

ケープ・ブレトンだけではなく、自然に関わる仕事をする人たちは、世界中どこでも死と隣り合わせで生きているのだと思うが、この話のこのロブスターは、ボストンのあのロブスターだったのか!と思うと、もっと有難く頂戴しなければいけなかったんではないかと。

普段、そこまで考えて物を食べてはいないのだが、マクラウドは残酷にも、自然の過酷さをあますところなく描いており、その仕事に携わる人々の苦労がひたひたと伝わってくるために、読んでいる側は、身につまされる思いがするのである。

これはたまたま、つい最近食べたロブスターの産地の話であったため、特にそう感じたのかもしれないが、この作品だけでなく、読み始める前に抱いていたマクラウドのイメージとは作風がずいぶん違っていた。人間的なものは超越しているような作家なのかと勝手に思っていたのだが、非常に人間的だ。

まだ3篇しか読んでいないので言い切ることは出来ないが、「短編の名手」と言われてはいるものの、個人的には、この人は長編のほうがずっといいのではないだろうか?という気がしている。図書館に長編も予約してあるので、それを読んでから、再び比較してみたいと思う。

アリステア・マクラウド(MacLeod,Alistair)
1936年、カナダ・サスカチェアン州生まれ。作品の主舞台であるノヴァ・スコシア州ケープ・ブレトン島で育つ。きこり、坑夫、漁師などをして学資を稼ぎ、博士号を取得。2000年春まで、オンタリオ州ウインザー大学で英文学の教壇に立つ。傍らこつこつと短編小説を発表。1999年刊行の唯一の長編『No Great Mischief』がカナダで大ベストセラーになったため、翌2000年1月、1976年と1986年刊の2冊の短編集の計14篇にその後書かれた2篇を加え、全短編集『Island』が編まれた。31年間にわずか16篇という寡作であるが、短編の名手として知られている。



私の苦手なアン・ビーティも「短編の名手」だったし、マクラウドも「短編の名手」と言われている。こうなってくると、主に短編を多く書いている作家は、皆「短編の名手」といわれてしまうのではないかとさえ思えてくる。ビーティとマクラウドを比較してしまうのは、あまりにも乱暴だが、何をもってして「短編の名手」なのか、それが私にはわからない。

「短編の名手」と言えば、大御所はやはりサマセット・モームで、個人的には彼を越えるものはいないとさえ思っているくらいなのだが、モームが書く短編と、現代の作家の書く短編は明らかに違っている。しかし、私はモームが書くような短編のほうが好きだから、現代の作家の「短編の名手」というのは、あんまりあてにならない言葉だと思う。とはいえ、これも個人的な好き嫌いの部類だろうから、ビーティもマクラウドも「名手」なんだろうと思う。

マクラウドの作品について書き出すと、とっても長くなりそうなので、ここでは適当なところでやめておくことにする。私自身の考えも、あまりまとまっていないことだし。ただ、1冊読んだ感じとして、マクラウドの力量は認めるものの、好みの作風ではなかったかなという感じだ。やっぱりこの人は長編のほうがいいんじゃないかと重ね重ね思った次第。だから、どうして「いい作家」ではなく、わざわざ「短編の名手」というのだろうなと思う。

こんなに辛い思いをしているんだ・・・と切実に訴えている作品は引いてしまいがちだ。マクラウドの作品に登場する人たちは、辛い状況でもそういう仕事が好きで(マクラウド自身も)、一生懸命に生きており、それはそれで素晴らしい人生だとも思えるのだが(ちょっと 『アンジェラの灰』 を思い出すような感じのところもあるから、単純に素晴らしい人生とも言えないとは思うが)、私の場合、これに限らず割に淡々と語られている話のほうがより感動するという嗜好のため、あんまり一生懸命生きられても、自分がぐうたらなだけに、重たくて受け止めきれないのだ。

ともあれ、今度は長編を読むのを楽しみに待つこととしよう。

2005年08月13日(土)
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