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■ The Secret Life of Bees/Sue Monk Kidd
『The Secret Life of Bees』/Sue Monk Kidd (著) ペーパーバック: 320 p ; 出版社: Penguin USA (P) ; ISBN: 0142001740 ; (2003/01/28)
<参考・翻訳書> 『リリィ、はちみつ色の夏』/スー・モンク・キッド (著), 小川 高義 (翻訳) 単行本: 381 p ; サイズ(cm): 20 出版社: 世界文化社 ; ISBN: 4418055142 ; (2005/06/18) 出版社からのコメント(翻訳書) 2年前、原書を手にページをめくった瞬間、私は1964年サウスカロライナの美しい夏に連れて行かれました。木々から溢れる日の光、はちみつの甘い匂い、窓から流れるバイオリンの音色、風の心地よさ…。その瑞々しい世界の中、悲しみから出発したリリィの心になぞり、確かに10代の頃に感じていた痛み、焦燥感、憧憬をたどったのです。そして、深い悲しみから本当の愛を知るのだと読後、私は今までに感じたことのない暖かい気持ちが胸に広がっていきました。このじんわりとしみこむような愛の物語を、ぜひ日本でも読んで欲しいと思い、この一冊を編集したのです。読者の皆様には、小川高義さんの名訳で原書以上に美しく、悲しく、暖かさにあふれるサウスカロライナの夏の中、本物の愛を見つけることをお約束します。
※手元に翻訳書がないから確認はしていないのだが、上記のアンダーライン部分から推測すると、翻訳のほうは全訳ではないのかもしれない。原書が320ページ、翻訳が381ページとすれば、省略は有り得る。とすれば、原書と翻訳書の感想は当然違ってくるだろうし、編集の仕方によっては、作者の言いたかったテーマもずれてくるのでは?と思う。原書は非常にキリスト教色の強い作品である。
原書(PB)が出版されたとき、すぐに購入していたのだが、ついつい今まで読まずに来てしまった。翻訳は出ないのかなと思いつつ、翻訳が出ているのを知ったのは、原書を読み始めてから。その翻訳本の評判がすこぶるいいので、かなりの期待と、そういうのに限って期待はずれなんだよなという不安とがあり、複雑な思いのうちに読み進めた。
日記をご覧になっている方はわかるだろうが、読了までに、思いのほか日数がかかった。というのも、他にやることがあって・・・というのもあるが、正直言って、みなが絶賛するほどはまれなかったためでもある。
翻訳本を読んだほとんどの人が、「リリィの悲しみ」ということを言っているのだが、なぜ、皆が口をそろえてそう言うのだろう?本のオビにでも書いてあったのか?とも思った。いろんな感想があっていいはずなのに、一様に「リリィの悲しみ」と表現するのはどういうことなのか?Amazonの出版社からのコメントにも、「悲しみ」という言葉が使われている。
たしかに主人公リリィの悲しみはあった。おおまかに言えば、少女の成長物語、母の愛を探す物語であるのだが、実はそこには、母の死にまつわる複雑な問題がからんでいる。事実がわかってみると、この子は一体どんな思いを抱えて生きてきたのだろう?と戦慄さえ覚えた。精神的に大きなトラウマを抱えていたに違いない。
母の死という問題を考えたとき、宗方慶司の 『我が罪』 を思い出した。「母親の死はお前のせいだ」と父親に言われ(お産が重かったために母親が死亡した)、その責任という重荷を背負って生き続け、最後には自殺してしまう青年の話である。
ここで思うのは、父親の態度である。『我が罪』の父親は、たった一度、不用意に言ってしまっただけなのだが、それが長い時間をかけて、青年を自殺にまで追いやった。しかし、リリィの父親は、母親が死んだ真相を、けして口にはしなかったのだ。その真相は、リリィが自ら認識しており、しかし認識するのを拒みながら、自分の心の中に抱えていた爆弾だったのだ。
だがリリィの父親は、本当に暴力をふるう酷い父親だったのだろうか?父親に対しては、まるで自分に愛情がないと決めてかかっているリリィ。それゆえ、家出をして、ブラック・マドンナ印(リリィの母がその絵を持っていた)のハチミツを作っている養蜂家のもとへと行くわけだが、そこでの暮らしは、たしかに楽しいものであっただろうし、母親の実像を知るにも適切な場所であった。ここでの情景描写は美しく、詩的である。
しかし、愛する妻を失った父親の気持ちを考えたことはあるだろうか?たしかに、リリィに対してのおしおきは、時に度を越していたこともあったかもしれない。だが、子どもに対する親のしつけとして、特に母親がいない場合の父親の立場として、それは愛情の裏返しであったかもしれないと思う。父親には女の子の扱い方がよくわからなかったのだろう。
そこには、リリィが母を失った悲しみよりも、愛する妻を失った男の悲しみのほうを強く感じる。まして、妻が死んだのは、不慮の事故とはいえ、まさに娘のせいであったわけだし。だから、リリィが不当だと思う父親の仕打ちも、わからないではない。この父親の胸中ほど複雑なものはないだろう。リリィのトラウマも、救いがたい同情すべきものではあるのだが、他人と違って、娘を罰することのできない父親の苦しみは、それが血を分けた娘であるがゆえに、計り知れない。
そしてリリィの気持ちはというと、これは「悲しみ」などという言葉では済まないものだろう。むしろ「痛み」である。それも一生背負っていかなければならない絶望的な「痛み」である。心に思い浮かべるだけで、鋭い痛みを伴う思いである。さらに、彼女の嘘のうまさは、母親の死から始まったといってもいいだろう。その記憶を違った事実にしたいがために、彼女は嘘をつき始めたのではないだろうか。彼女を救えるものは、もうマリア様くらいしかいない。
父親は、事の真実をリリィが知らないもの(というか、幼すぎて理解していない、あるいは覚えていない)と思っていた。だから余計に、娘に真実を知らせることを避けていたのだろう。娘が苦しむことは十分すぎるほどわかっているから、けして知らせまいとしたに違いない。だが、娘はどんどん母親に似てくる。父親の苦しみは増すばかりといった具合であったに違いない。親の愛を求めるリリィと、苦悩する父親の間の溝が深まるのは、いたし方のないことだったのかもしれない。二人にとって、背負ってしまった運命は、非常に残酷である。
さてこの本には、何年の話であるという記述は一切ないが、実際の歴史的な出来事が書かれているので、いつの話かが特定ができる。そして、南部らしさといえば、もちろん地名は書かれているのでサウス・カロライナであることはわかっているが、中に出てくる食べ物などに、南部らしさが表れている。しかし、風景からは南部というイメージはわかない。これはカリフォルニアでもいいだろうし、中西部あたりのアイオワとかでも通用する情景にも思える。ただ、その描写は非常に美しい。
もうひとつの南部らしさというと、黒人に対する主人公の気持ちである。まだ人種差別による理不尽な不公平さがあった時代で、そうしたエピソードも盛り込まれているが、刑務所に入れられてしまった乳母のロザリーンを、リリィがどうしても助けなきゃと思う場面で、特に何部らしさを感じた。南部では、黒人差別はあるものの、自分の家で働いている黒人は家族同然という気持ちがあるからで、リリィがロザリーンに抱いていた気持ちは、まさにそういうものだったからだ。
リリィが家出した先のブラック・マドンナ印の蜂蜜を作っている家も、黒人の家庭だ。オーガスト、ジューン、メイ、エイプリルといったカレンダー姉妹の家である。彼女たちと暮らすリリィに、ふとトルーカン・カポーティの姿を重ね合わせてしまった。周囲からは偏見の目で見られても、自然の恩恵のもとで暮らすリリィやカポーティは、幸福そうである。その中でも不幸は起こるのだが、概してその日常は満たされているように思える。
この話の一番の主題は、母=マリア様ということだろう。母親の持っていた黒いマリア様の絵をもとに、母親の痕跡を探しにいき、行った先でマリア様の愛を知ったといってもいいかもしれない。聖母マリアに関する記述は、大きなウェイトを占めている。果たして、実際の母親の愛は見つかったのだろうか?私にはわからない。
読後の正直な感想としては、お願いだから、お父さんのところに帰ってあげて!という一言かも。本当はとても愛しているのに、それをうまく表現できないのが父親なんだからと。自分の悲しみのほかに、お父さんの悲しみも考えてあげて欲しいと思った。
2005年07月13日(水)
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