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■ セプティマス・ヒープ <第1の書>七番目の子/アンジー・セイジ
『セプティマス・ヒープ <第1の書>七番目の子』/アンジー・セイジ (著), 唐沢 則幸 単行本: 550 p ; サイズ(cm): 22 出版社: 竹書房 ; ISBN: 4812420768 ; 第1の書 巻 (2005/03) 出版社 / 著者からの内容紹介 七番目の息子そのまた七番目の息子には、神秘の「魔力」が宿る…。平俗魔法使いのピープ家に七人目の息子・セプティマスが誕生した。だが赤子は死に、死体を助産婦に奪われてしまう。同じ日、父サイラスは生後まもない女児を拾う。一家はジェンナと名づけて育てるが、その正体はなんと闇黒魔法使いに命を狙われる王女だった…。
近頃のファンタジーは期待はずれが多いからどうかな・・・という予想は当たってしまったようだ。書店で一瞬買おうかとも思った本だが、買わなくてよかった。翻訳は「崖の国物語」シリーズを訳した唐沢則幸氏なので結構期待していたんだけれど、やっぱり原作が今いちなんだろう。こんな風にしかならないんだろうなという感じはする。
これも魔法使いの話なのだが、こういう話でいつも感じるのは、“大”魔法使いには威厳が必要だということ。それが悪い魔法使いであろうが、良い魔法使いであろうが関係なくだ。面白くない本に出てくる“大”魔法使いには、「指輪物語」のガンダルフ、「ハリー・ポッター」のダンブルドア、「アーサー王物語」のマーリンなどに見られる威厳がない。「ドラゴンランス」の脆弱なレイストリンでさえ、他を圧倒する威厳を持っている。ファンタジーの面白さの鍵は、そのあたりにあるんじゃないのかなと思う。ま、個人の好みではあるけれど。
結局、この「第1の書」とは、セプティマス・ヒープが自分が何者か明かされるまでの話。つまり前置きというわけで、セプティマスの活躍を期待している人には、期待はずれ。こういうところが近頃のシリーズものの悪いことろで、全3作であると先に言ってあるものだから、全体として考えてしまい、1作目がおろそかになりがち。この本のように、前置きで終わってしまうのが多い。1作目が面白くなければ、2作目を読むかどうかは絶望的なのに。
それと、面白いファンタジーというのは、いくら子どもを主人公にしていたにしても、大人が読んで十分耐えうるものだ。子どもだましはいけない。子どもだって、そのあたりはちゃんと理解するから、児童向けだからと、作者は侮ってはいけないだろう。また、この作者アンジー・セイジには、ユーモアが足りない。ユーモアと思って書いているのだろうと思える部分も、まるで面白くない。これもまた個人の好き嫌いではあるだろうが、魅力的な登場人物もいない。
ひとつ疑問に思うのは、あざらし(ボガート)やネズミがしゃべれるのに、なぜ犬はしゃべれないのだろう?すべての動物がしゃべれるというならわかるのだが、特定の動物だけが人間と同じようにしゃべれるというのは、都合が良すぎるのではないかと。
ファンタジーがいくら作り事であるとしても、疑問に答えられるだけの深さを持っていないと、単に薄っぺらな話で終わってしまう。この後、セプティマスがどんどん活躍するのだろうが、読者の疑問に、ちゃんと答えられるような深みを備えて欲しいと思う。
翻訳に関しては、「崖の国物語」で素晴らしい訳を読ませてくれた唐沢氏とは思えない。どうしてしまったのだろう?結局、原作次第ということだろうか?
2005年06月02日(木)
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