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 さようならコロンバス/フィリップ・ロス

カバーより
真夏のプールサイドで出会った二人は、次の日プールの底でぶくぶくあわ立つ接吻をかわしていた。ニューアークの高級住宅地に住む女子大生と下町の叔父の家に下宿する貧しい青年の恋。空虚なアメリカの反映のなかにうまれた、若々しくはりつめた恋の物語を、甘やかな抒情とペーソスでとらえた青春の自画像。


「BOOK CLUB」の課題本には毎回悩まされていて、読み終えると、とにかくほっとする。

フィリップ・ロスと言えば、まずこの小説のタイトルが頭に浮かぶが、個人的には期待していたものではなかった。読者が女性か男性かでも、感想は違うんだろうと思うのだが、高校生、大学生くらいの、子どもとも大人ともつかない時代の小説って、とても共感できるものと、全く受け入れられないものとがあると思う。

その判断は、個人的な体験などに基づく、非常にパーソナルなものだと思うが、私の場合、この小説はどちらかといえば後者のほう。サリンジャーほど嫌だという気持ちはなかったし、全く受け入れられないというわけでもないが、主人公に興味を持てなかったということが原因かもしれない。

人間はみな勝手なものだが、この少年もまた自分勝手だ。恋人にペッサリーをつけてくれと頼むところなど、その理由が自分本位。また恋人が母親にペッサリーを見つかってしまったところでは、見つかってしまったという現在の状況にに目を向けず、「なぜ置いてきたんだ」と、過去のことばかりを言い、相手を責めるばかり。そこには「君が」置いてこなければ、こんなことにはならなかったのに!という非難がありありとうかがえる。

そんなところから、この少年は現実に目を向けず、前向きに対処していけない性格なのだと思える。見つかったからどうなんだ?それが非常に難しい立場でも、相手を必要としているなら、堂々と対処すべきだと思う。はなからこの少年の性格が好きではなかったので、やっぱりね、という感じがしてしまった。すべて相手次第という、あまり頼りがいのない性格じゃないのかと。

いわゆる「青春小説」だが、これは1977年の翻訳で、やっぱり古めかしい。50年代の比較的新しい社会を描いたものに、古めかしい訳というのは、ちょっと・・・。というか、訳された時には新しかったのかもしれないが、今ではやはり違和感がある。50年代はけして古めかしい時代とは思えないし。そんなわけで、若者の会話部分などは、どうしても受け入れがたい。イメージが上手く掴めない。

これが18世紀だとか19世紀あたりの話だったら、実際に時代も古いので、古色蒼然とした訳でも違和感はないのだが。。。これは新訳も出ていないから、できれば原書で読んだほうがいい小説のひとつだと思う。

青春小説って、マキャモンやカポーティみたいなのは面白いと思うのだが、サリンジャーとかロスのような雰囲気は、個人的にはダメかも。僕が、僕が、という自己主張の強いものは引いてしまうのかもしれない。主人公は同じ「僕」(私でも俺でもなんでもいいが)でも、本人は淡々としていて、客観的に第三者的な書き方をされているほうが、私は好きなんだと思う。

それでも、最後に親をとる主人公の恋人の立場は、女の子の気持ちとしては非常によくわかる。今だから言えるが、親の言うことを聞いておいたほうが間違いがないと思うし、そのほうが絶対に幸せになるとも思う。こういう恋愛はよくあることだと思うが、大人になって現実を見てしまった私からすれば、この主人公の男の子には全然魅力を感じない。人種とか宗教とか社会的な地位とかは全く関係なく、性格の面で魅力を感じないのだ。それも単なる好みだろうけど。

カバーに「空虚なアメリカの反映のなかにうまれた」とあるが、この子自身が空虚なんじゃないかと感じた。あまり「はりつめた恋」とも思えなかったし。

2004年08月11日(水)
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