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■ 日の名残り/カズオ・イシグロ
偶然にも今、この本の感想を書いているノートに、数年前にNHKのラジオ講座でイギリス文学の特集をした時の、解説のメモが書いてあった。前後を見てみると、ディケンズやイーヴリン・ウォー、サマセット・モーム、ジェーン・オースティン、オスカー・ワイルド、トマス・ハーディー、D・H・ロレンスといった、そうそうたるメンバーの名前が載っている。この時、カズオ・イシグロもずいぶん有名になったものだと思ったものである。
カズオ・イシグロという日本名をあちら風にカタカナ読みした名前が、イギリスという伝統を重んじる国の、文学と言うこれまた長い歴史を持つ分野に登場し、重鎮とも呼べる文学の大家と方を並べているのは、とても興味深かった。その時のテキストが、この『日の名残り』であった。引用箇所は、主人公スティーヴンスが執事の品格とは何かについて述べている部分。物語の中でも、最もイギリスらしいと言える部分なのである。
5歳のときに渡英したイシグロは、文化的には全くの英国人と言っても過言ではないと思うが、やはり日本人の血が流れていると思うと、そういう人物がイギリスの文化を、しかも良くも悪くも最もイギリスらしいと思われる部分を文学として描いているということは、私のようにどっぷりと日本から抜け出せずにいる者にとっては、驚くべきことである。しかし、もしかすると完全にイギリス人ではないがために、冷静な目で「イギリスらしさ」を追求できたのかもしれない。
物語のほうはというと、語り手である主人公の執事が、今や過ぎ去りし栄光の日々とも言うべき過去の時代をふり返る話である。丸谷才一氏の解説には、「イシグロは大英帝国の栄光が失せた今日のイギリスを諷刺している」とある。そして「スティーヴンスが信じていた執事としての美徳とは、実は彼を恋い慕っていた女中頭の恋心もわからぬ程度の人間の鈍感さにすぎない」ともある。
私が感じたのも、改めて言葉を変えて言いなおすまでもなく、この2点に尽きる。久しぶりに落ち着いた小説を読んだという感じで満足ではあるが、もっと細かいところまで入り込むには、再読の必要ありだろう。
余談ではあるが、翻訳の土屋政雄さん(『イギリス人の患者』『アンジェラの灰』『コールドマウンテン』などの訳者)のあとがきが興味深かった。氏が訳された作品をみればわかると思うが、真面目でシリアスな純文学が多く(しかも分厚い!ご本人の好みとは関係なく、この手の本の依頼が多いそうだ)、ご本人もそういう方なのだろうかと思っていたところ、フィンランドでニューズウィークを買ったが、本当は無修正のペントハウスとプレイボーイが欲しかったと書いてあったので、なぜかほっとしたと同時に親しみを覚えた。
その旅の恥をかき捨てられなかったフィンランドで、今更取りかえることもできないニューズウィークに、イシグロが『日の名残り』でブッカー賞をとったことが載っており、いつかこんな本を訳してみたいと願った氏は、なんと1週間後にその願いがかなったという。
私は、この『日の名残り』は今後、文学の殿堂入りをして、居並ぶ大家の作品と共に後世に残っていく作品のひとつと思うし、今回ハヤカワのepi文庫の第1回の配本に入ったことで、またさらに多くの人が手に取るようになるだろうと思う。今では土屋氏も、ペントハウスやプレイボーイではなく、ニューズウィークを買ってよかったと思っているのではないだろうか。
2001年06月05日(火)
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