ほうじ茶飲話【JOYWOW】
2003年02月21日(金)
証明
今日送信したメールの一節。 『自分を振り返ったときに、募金を集める活動に対して、善意か悪意かの判断がつかず、かかわりを避けて通り過ぎてしまいます。』
集金手段がDMだったり、訪問、路上で呼びかける人もいる。最近じゃ電話やメールもある。これはアメリカも日本も変わらない。真偽の割合も、同じ程度なのではないかと感じる。
募金という行為を否定はしていない。NYでは、機会があれば、使用目的がはっきりしているものには小額ながら寄付もしていた。ただ日本の足早な街頭募金では、どこで団体の信憑性を判断したらいいのか、正直わからない。駅前や路上の場合、それと気がついてから、3秒以内に目をそらしている気がする。
ふと、社会鍋(って、まだあるのかな?ないかも)を思い出した。あの活動は、軍服と外見が善意を保証していたのかもしれない。そうすると、TVの「愛は地球を救う」は、募金活動のエリートになるわけか。なるほど。
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