ほうじ茶飲話【JOYWOW】
2003年02月16日(日)
想像する力
湾岸戦争のリアル映像は、当時勤めていた会社のTVでみた。大変なことが起こったらしい・・・という思いは持っていたけれど、あくまで他所の国で起こっていることで、想像力のない当時の私には、それ以上の感情は湧かなかった。TVの電源を切れば、日常に戻れる出来事だったのだ。
9.11@WTCを一住人として受け止めた瞬間から、意識がはっきりと変わっていった。この世に、他命の犠牲もいとわず、利権で戦争を仕掛ける人たちがいるということを、強く認識させられた。
明日で、母の急逝から一年が経つ。今日、私の心の中にあった想いはひとつだけだった。「去年の今日、母は生きていた」という事実。生も死も天の采配であり、運命なのだが' if 'が時折顔を出す。もしかしたら、死なずに済んだのではないか。第三者の意思が働いていたのではないだろうか...etc。母は事故で死んだ。はっきりしているのに、いまだ心に封印したはずの if が離れない。そんな時に母の遺影を見ると、たまらなくなる。心が、いまだひりひりとした生傷を抱えていることを直視しなければならなくなる。
ただの事故でさえ、こうだ。では、なにがしかのはっきりとした悪意で、家族が殺されたとしたら、どんな思いを抱き続けることになるのか。想像してみて欲しい。自分が、自分の家族が被害者のひとりであったとしたら、あなたはどう考えるのか。どう行動するのか。
一人の力では何も出来ない。私もそう思っていた時期がある。でも、歴史は人の力で変わっていく。TVの電源を切っても、思考は分断できない。他国や他人事ではない。すべてが私たちの明日に繋がる出来事なのだ。
敵味方なく、戦争で死んだひとりひとりに、歴史や家族がある。それを利権によって奪う権利は、誰にもない。
茶飲話では、政治や戦争話などで感情論にならぬよう、と言い聞かせていた。けれど、ここは世界へ向けた私の発信手段のひとつでもある。だからこそ、感じていることを、そのまま表現した。
ここを訪れたすべてのみなさんへ。 未来を変えられるのは、ひとりの想像する力からなのだということを、どうか忘れずにいてください。
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