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■ 空白。(埋めました)
あれぇぇぇ。 旅に出ている訳でもないのに日記が止まったままだわ。 近いうちにアップするわ。また一行日記かも。アハハ。
と、言ったわりには結構長い文章書きました。(5/21) 良かったらさかのぼってやってくださりませ♪ 一週間以上ためるとキツイね。 まず、第一記憶にないもん。 「何したっけなぁ?」なのでございました。
<こう思われたかった私>
最近ちょっと私は人とどう接していいのか分からなくなることがしばしばあった。 話す=自分の意見を「述べる」と言うより「押し付ける」 自分はそんな風に接しているように思えてならなかったのだ。 自分の考えに「自信」がなかったからなのかもしれない。 「人がどう思うのか?」ばかりを考えていたからなのかもしれない。
弟は言った: 「『こう思われたい』って気持ちがあると 思われなかった時がっかりしたり、不満に思ったりする。 『何故分かってくれないんだろう?』とね。 人は自分が望むようにならないものだよ。特に心はね。 初めからそれが分かっていれば自分の事を理解されなかった時 落ち込んだり、悲しくなったりすることはないはず。 まず『こう思われたい』なんて考えないことだね。」
母とよく話す、弟はどうしてこうも大人なのかと。 「姉が出来損ないだからだね」と私は笑う。
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人と価値観が違うのは当たり前。ぶつかるのも当たり前。 それを当たり前とは受け入れられず、ぶつかることを私は怖れていた。 行動することで、言うことで、「何かを失うのでは?」と不安だったんだ。 そして、無口な私が生まれた。 そして、「冷たい」印象だけが相手の心に残った。
私には一番大切なコトがその人にとっては (極端かもしれないが)最後に位置付けされている場合もある。 また、その逆も有り得る。 私にはどうでもいいことが、その人には大切だったり・・・と。 「いかに理解し合うか?」「歩み寄れるか?」 なのだけれどそのすべを私は見失ってしまっていたんだ。 黙ることで「今」を守ろうとしていた・・・
「黙っていたら失わない」私の考えは間違っていた。 状況は私がじっとしていてもどんどん変わってゆく。 人の心を同じ場所にとどめて置くなんて不可能なのだ。 いかに自分というものに魅了させ続けられるか? それは常にコミュニケーションを保たなければ確立しない と言うことに気づいた。 私は大切な人を失うところだった。
「黙っていても伝わる」? 日本人夫婦の中ではよく聞く話。 言っても伝わらないことの方が本当は多いんですよね?
2002年05月20日(月)
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