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■ ◆渡米
朝になっても開いたままのトランク。 留守番の母だけがその状況を心配していた。 「起きなさい」と言葉を残し母は出勤。 祖父に別れを告げ駅へ向かう。
調度いい時間の電車がなくてバスに乗るのも余裕、 飛行機に乗るのも余裕と待つ時間の多い旅となった。
成田空港は想像以上にがらんとしていた。 人を避けて歩くこともなければ椅子だって好きな所に座れる次第。 さぞかし飛行機は空いているだろうと思いきや便数が減った為にほぼ満席。
荷物チャックは厳しかった。 まずいつものごとく機械に通した上、中を見られた。
「おっと!押しつぶさないでください」 「それお菓子です」
いつも旅行先が後進国ばかりだったのでその癖で、 つい必要以上に詰め込んで来ていたのだ。
「服と食べ物だけですね」 「はい!その通り」
なんだか恥ずかしかった一番小さなスーツケースのくせに一番重い私の鞄。
今回家族9人と言う大きな塊として国外脱出。 JALに乗るのは久々だった。 個人用のテレビが座席の前についているなんて知らなかった。 映画(ドキュメントを含む)は12チャンネルの中から選択でき、 もちろん音楽も豊富でゲームも楽しめた。 私と祖母が56D・Eであと7人は一列後ろにずらりと並んだ。 ちび(まもなく3才)は窓側。結構おりこうさんではないか! (ただ遠いから聞こえないだけかな?) 今、電気がついているのは私の席位である。 皆眠りに就き時の経つのを眉間にしわを寄せながら待っている。 日本時刻夜10時。やっと5時間経過。 そろそろエコノミー症候群に注意である!
第1回目の機内食(乗ってすぐ)はチキンだった。 テロのせいだろう、ナイフだけがプラスチック製だった。
行きは偏西風に押され予定より一時間早いフライトとなった。 30分遅れて出発だったので実際には30分早く着いただけだが。 当初は、直行便でラスベガスまで飛ぶ予定だった。 が、先も述べた様に便数が減った為直行便もなくなったのだ。 だからロス経由。
ロスでは個人で乗り継ぎをしなければならない。 いちいちトランクをピックアップしてまた預け直す。 そしてチェックインもしなければならないのだが その前に国際線のターミナルまで移動しなければならない。 外は想像以上に暖かかった。 ターミナルへ行くには青い看板の下でAのバスを待つ。 バスに乗る。冷たい運転手だった。
チェックインカウンター 一気に9人分やろうとしたら 「夫婦単位で頼む!」と言われいちいち面倒だった。 パスポートの顔の載っている所にチケットを挟んで個々に渡すといい。
質問事項がある。(これはチェックインする度に聞かれた) 1:誰かからの預かり物がないか? 2:自分で荷造りし、目を鞄から離してないか? 「NO」と答える。
英語の分からない祖母にも質問は飛んだ。 「彼女にも聞いてくれ!」と言うので 「ノーと言って!」 と私はまるで質問文を読んでいるかのように祖母に言った。 そばに居たちびもオウムの様に連発する「ノー」「ノー」「ノー」
無事チェックインは済んだ。 待ち時間は2時間のはずだったが乗り継ぎ便は大概遅れる。 計3時間は待ったのではないだろうか? いつも機内で寝るので結構元気なはずなのだが・・・ 今回はこの日記を途中まで書いていたり映画を2本見たりしてるうちに 到着してしまったのでほとんど寝ていなかった。
乗り継ぎ便が飛び立ったのは知っていたが 次ぎに目覚めた時はすでにラスベガスに着いていた。 1時間ちょっとのフライト中は熟睡だったのだ。
流石眠らない街:ラスベガス 空港内にももうすでにカジノが用意されており 多くの人がお金を落としていた。 カジノは基本的に撮影禁止。 子供(21才以下)プレイ禁止である。 でも、空港は大目に見てくれると言うので 数枚ここでシャッターを切った。
♪ようこそラスベガスへ♪ ↑中の文字変わるよ。
2001年11月20日(火)
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