赤鬼アジョシ |
私は八木山にある民族学校で、幼稚班2年、初級部6年、中級部3年、高級部3年、計14年お世話になった履歴だけ見れば純粋培養の在日コリアンでございます。どうしていま、こうもはぐれてしまったのかナゾなのですが(別にいーけど)。 総聯系民族学校は全国に百校強、そのうち高級部は12校(変動があるかも知れませんが知りません)。東北には福島に初中、宮城に初中高あるだけですので、必然的に東北六県から宮城県に集まることになります。寄宿舎があるので遠方から来た子はそこで生活します。最近は少子化の影響だけではないだろうけれど、宮城県の寄宿舎にまで入れて子供を預ける親も減ったンでしょうね。学生数が減少してどこも大変らしいですがね。 それはともかく、14年間通った宮城県の民族学校は少しばかり辺鄙な山の奥にありますので、幼稚班から初級部3年生まではスクールバスが出ます。冬の間は部活が終わる時間に中高級部だけのために山のフモトまでの下校バスが出ます。 スクールバスの運転手アジョシ(おじさん)は、酒を飲んだ赤い顔で運転するので「赤鬼アジョシ」、鼻毛が長く出ているので「鼻毛アジョシ」と子供たちに親しまれていました。 昨年12月に従兄の結婚式でお会いしたとき、少しだけお酒を召されたのかやはり赤い顔で「オマエは見た顔だな。八木山神社前か、妹は元気か」と云いました。 何百人何千人という卒業生を見てきたに違いないアジョシが、私と妹が八木山神社の前でバスに乗っていたことをを覚えていたことに驚きました。 「アジョシ、チェ(私)が卒業してもう9年ですよ、バスに乗っていたのは18年前です。覚えてらっしゃるんですか」と拙い朝鮮語で聞くと、「当たり前だよー、アジョシも仕事を辞めて9年だ」と笑っていました。 「お元気ですか。体はどうですか」 「元気だよー。もう赤鬼じゃないでしょ、アジョシは色白なのよー」 子供たちに接するような相変わらずのふざけた調子に、私は懐かしく童心に戻った気持ちでアジョシとしばし話しました。 3月3日は、ひな祭りよりアジョシの誕生日という記憶の方が強く、初級部のとき、友達とお金を出し合って手袋をプレゼントしたことをふと思い出した昨日、アジョシの訃報が届きました。 9年前の14年間に、アジョシとの思い出は常に寄り添っています。 いまはただ、赤鬼アジョシのご冥福を衷心よりお祈り申し上げます。 スゴハショッスムニダ。
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2005年03月05日(土)
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