うりうりうりうり、うぃーうぃーあわー |
「日本人社会」で暮らす私は、慶事か弔事でもなければめったに在日コリアンと接することはありません。 本日は前者で、久々に多くの在日コリアンと会いました。 斯様なとき、いつも強く感じるのは在日コリアンコミュニティの居心地の良さと悪さ。 居心地がいい。 日本語と朝鮮語のちゃんぽんで話し、笑い、歌う(そういえば私は日本人の多くが知っている唱歌や童謡をほとんど知らない)ことの気楽さ。 ここが私の生まれ育った場所だと知る。 けれど同時にひどく居心地が悪い。 呼吸が止まりそうになるほどの閉塞感。 ウリナラ、ウリミンジョック、ウリチバン、ウリチッ、ウリ、ウリ、ウリ、ウリ…なんなんだよ、なんでそんなに同類項で囲みたがるンだヨ。 「I Me Mine」より性質の悪い「We We Our」。 思い出した。これが私はダイキライだった。 ティーンエイジの頃ならちゃぶ台ひっくり返したものですが(トラウマであり逆鱗でもあるのです)、慶事だものネ、我慢しました。オトナになったネ。 否、それはそうと披露宴の祝辞に、なんのヒユでもなく身も心も捧げて心底から信じ愛したものに裏切られ取り残された二世の孤独と悲哀を感じて、今日はひどく哀れに感じてしまいました。カワイソーだね、二世は。キノドクだね。 でも彼らに憐憫なんて感じたくなかったのだヨ。 彼らの「ウリ」とは相容れないと知ったときから。 そしてそのことをコッピドク非難されたときから。 ですから後始末もしません。 私に憐憫などさせず、その孤独と悲哀を個々で乗り越えてクダサイ。 この上、未練がましく「ウリ」を連呼しないでクダサイ。 やはり私は「ウリ」には入れません。 こうして場を交えても、やはりそこは私の居場所ではない。 心地よくても悪くても、そこにいたくはない。いないことを、私は決めた。 だからといって彼らの不幸を願うわけではありません。 やはりみんな幸せになって欲しいヨ。 お互いがんばろう。 それじゃあまたね。
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2004年12月08日(水)
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