映画を観てもいいのだろうか

 映画館の前で足が竦んだ。
 映画が私に齎すものは常に圧倒的な「ボーガ」とこれまた圧倒的な虚脱感に無力感。「ボーガ」に至る手段としては何よりも強力な媒体なのだけれども、それが心地よいときもあればそうでないときもあり、或るひとつの映画を初めて観る一生に一度きりの機会を尊重するのならタイミングが難しい。自分のタイミングで映画を損ないたくない。
 否、映画は損なわれない。いつも変わらない。映画のなかの役者はいつも同じタイミングで同じ台詞を云う。なにかが損なわれるとしたら、それは自分、なのか。映画が損なわれるような気がして損なわれるのは自分か。タイミングは常に自分のものか。私はいま、映画を観ることができるだろうか。映画を観てもいいのだろうか。
 映画を観ないと飢えるンだ。映画で得る「ボーガ」に飢える。アレがないとどうしようもない飢餓感に襲われる。映画で得る「ボーガ」はたぶん、アルコホルで得る「ボーガ」より中毒性が高いような気がします。少なくとも私には。
 映画が好きなわけではない。映画を好きだと思ったことは一度もない。
 ただ「ボーガ」が欲しいのかも知れない。数時間の濃密な「ボーガ」が。
 けれどあとに訪れる虚無が怖い。「ボーガ後」が怖い。
 …映画を観てもいいのだろうか。

 一方、旨いアルコホルで得る「ボーガ」はとにかくただただ心地よく、ふわふわとした浮遊感、ときには恰もスターを得た某マリオ氏の如き昂揚を味わえます。そのまま眠ってしまえば楽なのです。眠ってしまえたなら。
 そういえばスターマリオも落ちたらやっぱり死ぬのよナ。眠れぬまま朝を迎え、浮力を失ったときの哀しさといったらない。他人と飲むと、ひとりの部屋に戻ったときにそれが襲う。だったらハナからひとり自室で飲んだほうがいくらかマシだ。


 ああ、違う。「ボーガ後」を恐れるなら「ボーガ」などないほうがいい。
 けれど永遠に続くかのような「ボーガ後」の虚無には堪えられない。
 畢竟逃避なのか。
 それでもアルコホルを飲んでもいいものだろうか。
 映画を観てもいいのだろうか。
 映画は私が観ることを許すだろうか。
 私は映画を観ることを許せるだろうか。
 …私は映画を観てもいいのだろうか。
2004年11月18日(木)

メイテイノテイ / チドリアシ

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