精進が足りません。 |
自分たちの内奥に「他者」の痕跡を発見し、アイデンティティというものが、決して純粋でもなければ、欺瞞や瑕疵がないわけでもないことを、サイードは学問的な研究や状況への旺盛な発現を通じて明かにしようとした。 (中略) 自分たちの歴史の中に「他者」の痕跡を認め、その分離不可能な絡み合いの中に新たな共存の可能性をみつけ出そうとしたのである。
『在日』(講談社)より、「社会的発言者」となった姜尚中氏の発言に対する姿勢についてのくだり。 エドワード・E・サイードから多大な影響を受け、日本国の「アウトサイダー」でありながら「インサイダー」として、朝鮮半島の「アウトサイダー」でありながら「インサイダー」として、更に世界に於ける「アウトサイダー」でありながら「インサイダー」として、複雑に絡み合うアイデンティティを抱えたまま、発言しようと試みています。
すごいと思う。 私は自己の出自からくる、アイデンティティが混濁しているがユエの揺らぎや迷いが堪らなくイヤでした。だから四世や五世の若い子などと話すと、あまりにサッパリしていて羨ましかった。純化された「欺瞞や瑕疵のない」アイデンティティを望む彼らの殆どは既に「選択」をしているのです。 そういった「選択」ができそうにない私は、やはりぐだぐだと揺らいだり迷ったりしながら今日に至るわけなのです。「メンドクセー」とぼやきながらも、とりあえず「選択しない」ということを選んだのだろうか。
純粋ではありえず、欺瞞や瑕疵の混濁したアイデンティティを、バランスよく共存させることは自己のなかですらナカナカ難しく。 その道を見出すには、まだまだ精進が足りません。
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2004年06月01日(火)
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