What's in a name? |
モグワイのかわゆさにつられて観に行った『グレムリン』は、『グーニーズ』と『阿羅漢』というなんだかよくわからん三本立てだったりしたのでした。 映画館から帰った幼いワタシたちは、モグワイそっちのけでリー・リンチェイに夢中(子供にゃ一寸グロいよなー)。 鏡の前でキメポーズをしたり、妹と戦って窓ガラスを割り、母親にコッピドク叱られたりした子供時代だったのでした。
そんなわけで(?) 、ハリウッドでの「ジェット・リー」という名前は、なんだか妙に安っぽい感じがして未だに慣れないのです 。 コレは云わば松井秀喜選手が、「ゴジラ・マツイ」とかなんとかいう名前で選手登録されるようなものだと思うのです。
ま、しかし名前っちゅーのは大した問題じゃないです、ハイ。 名前が変ったからといって、中身まで変るわけじゃないし。 シェイクスピアにありましたね、そんな台詞。 What's in a name? That which we call a rose. By any other name would smell as sweet. 『キス・オブ・ザ・ドラゴン』も、『ザ・ワン』も、やっぱりリー・リンチェイ…基、ジェット・リーは最高にかっちょいかった。 だから恐らくこれからも、「リー・リンチェイ」だろうが「ジェット・リー」だろうが、ワタシは彼の映画を観に行くでしょう(「嗚呼、メリケン人はカンフーの観せ方っちゅーもんをわかっとらん…」などとボヤきながらも)。
実はワタシ自身、自分の名前にあまり思い入れがない。 本名も通名もなんだかテケトーに付けられたくさいし。 そう、ワタシにも一応通名があり、職場では通名を使っています。 あ、別に騙して入社したわけじゃないです。 入社当時の上司にそうしてくれ、と云われたのでそうしているだけです。 実は、この件に関しては、ワタシの周囲ではイロイロと言ってくる人も多かった。要するに「それは差別じゃないか」ってことなんだけど。 でも、ま、ワタシ自身は深く考えるのはヤメタのでした。 ジッサイ、どうでもよかったんだもん。 本名だろうが通名だろうが、する仕事は変らないし、ワタシはすべきことをするのみ。ただ、民族学校を出るまで通名はあってなきが如しだったので、慣れるには若干の時間を要した。はじめのうちは呼ばれていることにも気づかないこともしばしば。「ちゃん」付けで呼ばれた日にはアナタ、んも〜おしょすぐっておしょすぐって、内心「やめてけれ〜」と叫んでいたりしました。
今の上司は「名前を偽るのはおかしい、本名を使っていいよ」と言ってくれるけど、4,5年通名を使ってきた同じ職場で、今更本名に変えるってのもなんだかな〜と躊躇していたりします。 それに今では最早、通名は「偽っている」という感覚じゃなくて、「もう一つの名前」という感覚なのです。単に慣れただけかも知れないけど。 かといって本名が自分の名前だという感覚が失われたわけでもない。 名前に執着薄いからなー。これはワタシだけかも知れん。
同じ在日コリアンでも通名を持たない人もいるし(通名を変えるのはカンタンだけど、作るのは大変らしい、けど作る手続をしたことないからわからん)、本名は他人の名前みたいだ、という人も多い。 便利、というかアバウトなシステムだから、悪用するヒトもいるだろうね。 イロイロです。本当にイロイロいるんです。 どちらがいいか、どちらが正しいか、なんて一概には云えません。
ワタシが明日から本名を名乗ったからといって、突然熱烈な共産主義者になるわけでもない(お寿司がキライになるわけでもない…)。 だから、別にどっちでもいいです。 所詮自分が悩んで付けた名前でもないし。 なんでもいいです。どーでもいいです。 愛着はあるが、執着はない。 こんなもんに「民族の誇り」なんて感じない。 こんなもんに執着しなければ、保てないアイデンティティなんてクソだ。
What's in a name?
おいらをフローレンスと呼んでも、 バーバラと呼んでもイザベルと呼んでも、 しずかと呼んでも、ドラミと呼んでもジャイ子と呼んでも、
未だに時々鏡の前でポーズをキメたりしている馬鹿はそのまま。
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2003年02月11日(火)
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